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9/30-10/1 突発的な撮影旅行 その4「越乃Shu*Kuraを乗りに行く」

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9/30-10/1の土日で、突発的に撮影旅行へ行ってきた話の続きです。

485系"彩"の引退運転の撮影に当てた9/30に対して、翌日の10/1は1つの列車の乗車の予定だけ入れていました。
その列車は「越乃Shu*Kura」。キハ40系を改造した3両編成の観光列車で、JR東日本では現状最後に改造されたキハ40系系列の観光列車です。
この列車は酒所である新潟県を走るということで、日本酒を楽しむ列車として運行されています。
運行開始当初は高田始発でしたが、北陸新幹線の開通後に上越妙高発となりました。
前日は長野泊まりでしたので、朝からしなの鉄道北しなの線、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインを乗り継いで上越妙高駅へ向かいました。



朝の長野駅。日曜の朝と言うことであまり人影もありません


妙高高原行きに乗車します


篠ノ井線(一応、篠ノ井ー長野は信越本線)と北しなの線の境目であることを示す駅名標



篠ノ井線のE127系100番台



383系「ワイドビューしなの」。増結編成を連結していますね



しなの鉄道色の115系1000番台が入線してきました。これに乗車します



車内は元は長野車ですが、シートモケットはしなの鉄道で交換した物です


長野総合車両センターの横を走ると、埼京線205系の最後の1両らしき姿が見えました


そして昨日サヨナラ運転をした485系"彩"の姿も


さらに昨夜乗車したHB-E300系"リゾートビューふるさと"の姿も


妙高高原駅に到着。乗り換え時間が少しあったので、外に出てみることにしました


駅ホームにあった人形


反対側のホームから見た115系1000番台


妙高高原駅の駅舎


えちごトキめき鉄道ET127系に乗車し、上越妙高へ向かいます



上越妙高駅に到着


ここがキハ40系"越乃Shu*Kura"の始点です




在来線改札を出て、一旦外に出てみます


駅のトイレに行っている間にホームにキハ40系"越乃Shu*Kura"が入線していました。
ホームに向かいます。





白と濃紺の車体。和の雰囲気を感じる車体です。前面は元のキハ40系から大幅な改造はされていませんが、前照灯は交換されていますね



隣のホームにE653系1100番台「しらゆき」が入線しました








びゅう旅行商品として販売されている1号車。こちらはボックスシートと海側を向いたシートになっています




2号車は1両まるごとイベント車兼サービスカウンター「蔵守-Kuramori-」



元々キハ40形とキハ48形を改造した物なので、2号車の運転台設備はほぼそのまま残っています






3号車は運転台側がフリースペースのリクライニングシート。みどりの窓口で指定券が購入できるのはこちらです



さて、そろそろ出発です。

次回でこの旅行シリーズ最終回です。



9/30-10/1 突発的な撮影旅行 その5「続・越乃*ShuKuraを乗りに行く」

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9/30-10/1の土日で、突発的に撮影旅行へ行ってきた話の最終回です。

10/1の朝に長野駅を出て、しなの鉄道北しなの線、えちごトキめき鉄度妙高はねうまラインを通り、上越妙高駅からキハ40系改造の観光列車「越乃Shu*Kura」に乗車しました。
以前乗車しようとしたら満席だった「越乃Shu*Kura」ですが、そろそろデビュー当時ほどの乗車率も無いようで、3号車の座席はそこそこ空きもありました。


2号車で展示されていた日本酒


この日扱っていた日本酒の種類


2号車の車販メニュー。日本酒含めて、割とドリンク類が中心ですが、酒のつまみが充実してます


2000円の呑み比べセット。下戸なのにお試しで頼んでみました。手前の鮭の付け焼きがとても美味しかったです。お酒はいずれもすっきりして呑みやすい味でしたけど、所詮下戸なんで味の善し悪しなんてわからないと言うことは確認できました・・・



前回で紹介し忘れましたが、3号車の座席には収納式ミニテーブルもついてます




高田駅で、えちごトキめき鉄道の観光列車「雪月花」と行き違いになりました。この列車も、いつか乗ってみたいですねえ





信越本線に入ると2号車では演奏会が催されました



そういや1,3号車は郡山総合車両センターの改造だったんですが、2号車だけは新潟トランシスの改造なんですね



晴れていて美しい日本海の海岸線


青海川駅に到着






青海川駅ではしばらく停車時間があったので列車を撮影しました


2号車では日本酒の試飲イベントを開催


やがて宮内に到着。このまま一旦長岡まで進みます


途中でEF81形らしい姿が見えました





長岡駅に着くと、115系初代・新潟色がいました。この色を見たのは初めてです(実はこの写真を撮るとき、下戸なのに日本酒飲みすぎて、目がかすんでました・・・)


「越乃Shu*Kura」はここでスイッチバックし、上越線へ入っていきます

十日町に到着後は北越急行に乗り換えて、六日町から上越線に乗り換え、越後湯沢から新幹線で帰りました。
この日も夜に歯医者の予約が入っていた物で・・・・


十日町駅で乗り換え。こちらは北越急行の改札前ですが、子供達が遊んでいました


北越急行の六日町行き普通列車に乗車します。HK100形に乗るのも久しぶり


六日町から越後湯沢まではE129系に乗車


越後湯沢駅で上越新幹線に乗り換え



新潟方面ホームにはE4系の8+8の16連が入線してきました


E2系「とき」で帰りました

485系「彩」の急な引退で行ってきた撮影旅行。2日目にこれまで乗車していなかった「越乃Shu*Kura」に乗車することもでき、楽しめました。
ただ・・・・・もう日本酒は呑まないぞ・・・・と心に誓うことにはなりました・・・・初めて酒飲んで視界がぼやけて身体がだるくなる(酔う)というのを体験したよ・・・

現役のSLはどれだけいるのか? 2017年版

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旅行記ばかり続けてきて、実際まだストックもあるんですが、そろそろ他の記事も書きたくなったので閑話休題。

このブログ、記事を書いた当日はその記事が一番アクセスが多くなるのですけど、記事を書いていない日にアクセス数が多いのは、5年前の2012年に書いた「現役のSLはどれだけいるのか?」と、今も残る現役国鉄車両シリーズです。
5年の間にだいぶ状況も変わってきてしまいましたので、ここらでもう一度取り上げてみたいと思います。

現在現役のSLは、本線走行が可能な鉄道車両と言う限りで下記の17両です。

JR北海道:C11 171、C11 207(東武鉄道へ貸し出し中)
JR東日本:D51 498、C57 180、C61 20、C58 239
JR西日本:C57 1、C56 160、D51 200
JR九州:58654
真岡鐵道:C12 66、C11 325
秩父鉄道:C58 363
大井川鐵道:C10 8、C11 190、C11 227、C56 44

2012年当時に比べて2両(C58 239とD51 200)増えるという、時代に逆行する増加現象が起こりました。ただし、JR西日本のC56 160はD51 200の復活による再度の引退が予定されています。

2012年当時以降撮影できていない車両もあるので、当時と同じ写真もありますが、再度各車両の写真を掲載していきましょう。


JR北海道 C11 171。数年前までは、「SL函館大沼号」「SLニセコ号」でも運行されていましたが、JR北海道の保守体制悪化に伴い、維持費削減のため「SL冬の湿原号」にのみ運転されることになりました。写真は倶知安駅で撮影した「SLニセコ号」


JR北海道 C11 207。前照灯を横並びに2つ持つという全国的にも珍しいSL車両。C11 171と2両体制だったJR北海道がSL列車の運行を大幅縮小したため、余剰となってきていたところを東武鉄道にまさかの貸し出し。2017年から「SL大樹」を牽引しています。写真は「SL函館大沼号」で、函館駅での撮影


東武鉄道に貸し出されたC11 207の「SL大樹」。この写真は鬼怒川温泉駅にて試運転を車内から無理矢理撮った写真なので、11月にあらためて撮りに行ったら故障でDE10形代走という始末でした・・・・


JR東日本D51 498。1000両以上作られたにもかかわらず、D51 200が今年復活するまでは唯一の現役D51という状態でした。高崎を起点に、「SLみなかみ」「SL碓氷」を中心に運行されています。以前はJR東日本の各地で出張運行されていましたが、C61 20の復活後は主にC61 20が出張するようになりました。写真は沼田駅で撮影した「SLみなかみ」です


JR東日本C57 180。「SLばんえつ物語号」で主に運行されますが、新潟/新津を起点として、羽越本線でも運行されることがあります。以前は郡山にも顔をよく見せていましたが、最近は会津若松から先に来ることがあまり無くなりました。近年お供の客車が大幅にリニューアルされ、まだまだ活躍が期待されます。写真は会津若松駅で撮影した「SLばんえつ物語号」


JR東日本C61 20。製造数が33両だけというC61形で唯一の現役。D51 498の故障時に代替機関車の不足が問題となって新たに復活させられました。復活後は、D51 498と同じく「SLみなかみ」「SL碓氷」で活躍していますが、SL臨時列車としてもよくJR東日本管内で貸し出されています。写真は宮城DCで貸し出された時の「SL仙台宮城DC号」を松山町で撮影した物


JR東日本C58 239。東日本大震災で大きな被害を受けた東北に新たな観光列車をとのことで、C58 239を新たに修復して2014年から「SL銀河」として運行を開始しました。かつて、D51 498が不定期に臨時運行していた釜石線を運行し、勾配補助のために、"元"客車のキハ141系気動車をJR北海道から購入して専用客車としています。写真は遠野駅で撮影した「SL銀河」



JR西日本C57 1。国鉄が最初に復活させた元祖復活SL列車「SLやまぐち号」を牽引しています。貴婦人とも呼ばれるC57形1次型の車両です。あまり他の路線に出向くことも無く、「SLやまぐち号」以外は「SL北びわこ号」でまれに運行される程度です。長年の運転で故障も多発しており、D51 200の復活は負担軽減の意味もあるでしょう。写真は上が「SLやまぐち号」を新山口駅、下が篠目駅付近で撮影したもの



JR西日本C56 160。C12形に炭水車を取り付けたのがC56形ですが、ポニーの愛称でも親しまれています。主に「SL北びわこ」の牽引機として活躍しているほか、「SLやまぐち号」の予備機、他社への貸出機としても活躍してきました。D51 200が2017年に復活したことで、再度引退の方向性と報道されていますが、動態保存を維持するのか、静態保存になるのかは興味深いところです。写真は上が米原駅、下が「SL北びわこ」を田村駅で撮影した物



JR西日本D51 200。C56 160の老朽化に伴い、代替機として梅小路機関車館の「SLスチーム号」牽引機として運用されていたD51 200が本線走行用に修理され、2017年11月から山口線で営業運転を開始します。今後は「SL北びわこ」でも運用される予定です。写真は上が梅小路機関車館だったころに扇形車庫に入っているところ。下が、京都鉄道博物館となってから本線走行用に修理中のところです


JR九州58654。現在現役のSLでは唯一、CとかDという動輪数を示すローマ字が付かない、大正時代の8620形蒸気機関車。8620形は旅客用の機関車で、同時期に貨物用に作られたのが9100形です。動輪数は3つですので、その後の基準だとCにあたるのでしょうね。「SLあそBOY」として復活した機関車でしたが、台枠の破損で再度引退。台枠を新製して最復活後は「SL人吉」で運行されています。なお、製造こそ大正時代なのですが、ボイラー、台枠、運転台のほとんどが昭和/平成に作り直されており、実質的には一番新しい国鉄型蒸気機関車となっています


真岡鐵道C12 66。国鉄真岡線を引き継いだ第三セクター、真岡鐵道が集客の目玉として復活させたSLです。C12形は小型軽量が特徴の小さな機関車で、地方の簡易線向けなどに製造されました。C12形は、以前は大井川鐵道にC12 164が動態保存機として存在していましたが、現在はC12 66だけです。ほとんど「SLもおか」のみで運行されていますが、かつてNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」の撮影のためにJR北海道へ貸し出されたことがあります。また、JR東日本大宮工場での全般検査時にも試乗に利用されたことがあります


真岡鐵道C11 325。C11形はC10形の改良機として、より線路規格の低い丙線でも走行できることを目的に製造されたタンク式機関車です。C12 66の予備車として復活した車両ですが、C12 66と一緒に「SLもおか」を重連運行することもあります。JR東日本への貸し出しが毎年行われており、主に只見線の臨時列車「SL会津只見」等として運行されています。写真は真岡駅の車両基地で撮影したもの


秩父鉄道C58 363。秩父鉄道の看板列車「SLパレオエクスプレス」を牽引しています。東京に一番近いSL列車(東京から熊谷は、東京から下館より15kmほど直線距離的に近い)ということで人気も高く、本来の営業区間は熊谷〜三峰口ですが、近年西武鉄道との連絡線を利用して西武秩父発の「SLパレオエクスプレス」も臨時運行されています。写真は広瀬川原車両基地で撮影したもの


大井川鐵道C10 8。小型軽量の都市近郊旅客列車用機関車で、現役では唯一のC10形車両がC10 8です。大井川鐵道で「かわね路」を運行する機関車のうちの1両で、大井川鐵道の車両でも最も古い車両です。大井川鐵道は4両の現役SLがいますが、あまり遭遇運が無くて、過去3度の訪問で営業運転は1度しか見られませんでした。写真は神尾駅にて車内より撮影した「SL川根路」


大井川鐵道C11 190。大井川鐵道のC11形2両の中で、「トーマス」にされなかった方の機関車。私的に一番よく遭遇する大井川鐵道の蒸気機関車で、過去3回の訪問でいずれもこの車両に遭遇しています。同僚のC11 227が「トーマス」になってしまっため、「かわね路」についてはこの車両の運行が多くなっているようです


大井川鐵道C11 227。大井川鐵道のC11形2両の中で、「トーマス」になった方です。あいにく、「トーマス」時以外の写真が無いので、「トーマス」の写真だけ掲載。「トーマス」となっているときは、塗装変更、前面の前照灯位置変更、ボイラーの蓋に「トーマス」の顔を取り付け、装飾の取り付け、除煙板の撤去などが行われています。ちなみに、目は手動で動かすことが出来るようです。「トーマス」としての運行時以外は、通常のC11形の姿に戻されます。写真は川根温泉笹間渡駅付近で撮影



大井川鐵道C56 44。戦時中にタイ国に渡った機関車が里帰りを果たして運行されている唯一の機関車です。大井川鐵道の4両のSLで唯一炭水車を持つ車両と言うことで、機関車トーマスに登場する「ジェームス」に抜擢されました。見た目こそ「トーマス」より大きいですけど、実際にはC56よりC11の方が性能が良いので、「トーマス」より非力だったりします。上は通常状態のC56 44を新金谷機関区で撮影したもので、下は「ジェームス」を川根温泉笹間渡駅付近で撮影した物

以上、現役17両の写真でした。
まだD51 200の運行状態の写真は撮影できていないので、今後撮影しに行きたいですね。





今も残る現役国鉄形電車 東日本編 2017年版

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2012年に穴埋め記事として掲載した「今も残る現役国鉄形」シリーズは、なぜか5年経った2017年現在も、このブログの中でアクセス数上位に来るという記事です。
しかしながらこの5年間で国鉄型車両が大幅に減少し、2012年当時の情報とは差異も大きくなってきました。
そこで、2017年11月現在の情報として、あらためて記事を掲載していきたいと思います。

今回は東日本編と言うことで、JR東海/JR東日本/JR北海道/周辺の私鉄・第三セクターを基準に紹介していきます。国鉄時代に初期型が登場した車両で、その後改良型や改造車としてJR化後に登場した車両も今回は含めていきます。このため、JR化後の製造が多い205系、211系。基本は国鉄車だが、JR化後に製造または改造された、213系5000番台、485系ジョイフルトレインについても、紹介していきたいと思います。


115系
湘南型電車と呼ばれる111系車両を勾配路線/寒冷地用に設計しなおした車両が115系。山岳路線・寒冷地路線の直流区間の様々なところで投入され、黒磯から下関まで当車両を見ることができた。JR東海では、身延線、御殿場線、飯田線、中央西線等で投入されていたが、全て引退。JR東日本でも多くの路線で撤退し、2017年現在は新潟、高崎にわずかに残るだけとなっている。一方で、第三セクターのしなの鉄道は新造車を作る予算が無いため、JR東日本から譲渡された115系のみで運行されており、旧塗装への塗り替えで集客を図っている。


高崎地域の115系1000番台。上越線、信越本線、両毛線、吾妻線で活躍してきたが、211系への置きかえが進行中。高崎地域は115系の全て湘南色の115系1000番台となっている。


国鉄時代の新潟色にリバイバルされた115系1000番台。塗り分けは湘南色やスカ色と同じだが、湘南色のオレンジを黄色系、緑を赤色系に塗った感じ。元々は70系電車時代の塗装だとのこと


115系1000番台二次新潟色。新潟の115系は、近年の大量廃車前まで主にこの塗装と、青色系の三次新潟色、弥彦線用塗装、長野からの転属車の長野色の4種類が混在していた。E129系の大量投入で急速に廃車の進んだ現在は、この塗装を保っているのはわずか1編成(N33編成)だけになってしまった。N33編成の写真が無かったので、写真はすでに廃車されたN11編成の物


新潟地域の115系1000番台湘南色。N38編成がこの塗装となっている。現在新潟地域の115系は、わずか10編成あまりにまで減っているようで、なかなか姿を見ることも難しくなってきている。なお、すでに上越線からは撤退済み


115系1000番台三次新潟色。JR化後に登場した新潟色としては3代目。現在残る115系1000番台では比較的この塗装が多くなっている。信越本線からえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに直通する快速列車は、この塗装の115系1000番台であることが多い


しなの鉄道115系1000番台。長野地域の115系の一部を信越本線のしなの鉄道転換時に2度にわたって譲渡された。しなの鉄道は現在全営業用車両が115系で、この赤色とグレーを基調とした塗装がベースで、近年は車体下部に写真の様なラッピングをした車両が増えている。2両編成、3両編成が存在


しなの鉄道115系1000番台長野色。北陸新幹線開業時の北しなの線運行引き継ぎで譲渡された車両が、塗り替えられること無く運行されている物。検査時に徐々に標準塗装に塗り替えが進んでおり、最近はこの塗装を見ることは少なくなっている


しなの鉄道115系1000番台観光列車「ろくもん」。169系急行形車両というしなの鉄道にとって最大の看板だった車両が老朽化に伴って引退したため、あらたな看板列車として、JR九州等で数々の観光列車を手がけた水戸岡鋭治氏デザインで改造された観光列車。長野〜軽井沢を土日を中心に1往復する運用が主体だが、最近は姨捨にも姿を見せることがある


185系
国鉄末期に153系および165系等の急行形車両を置き換えて、伊豆方面の特急および東北・上越新幹線の上野開業前におけるリレー列車の役割のために登場した車両。国鉄最後の特急形電車でもある。
登場時は、普通列車用途も考えて転換クロスシートだったが、逆に特急用車両としては見劣りする車内設備で有り、後年のリニューアル改造時に回転式リクライニングシートに交換されている。
2017年現在は高崎線系統の特急「草津」「あかぎ」が651系1000番台に置き換えられて余剰廃車が大量に発生しており、主に特急「踊り子」「はまかいじ」のほか「ムーンライトながら」などの臨時快速列車等で使用されている。今後、残る車両もE257系により置き換えられる予定である。


185系緑ストライプ。「踊り子」用に登場した車両の登場当時の塗装に戻されたもの。伊豆箱根鉄道修善寺駅で撮影した「踊り子」号。


185系リニューアル色(踊り子用)。リニューアル時に、踊り子用はオレンジと緑、高崎線系統用は黄色と緑のアクセントカラーに変更された。その後、国鉄踊り子塗装への塗り直しが進んで、リニューアル色の数は減っている。写真は東京駅で撮影した「ムーンライトながら」。


189系
直流型電車特急183系を横軽対応した車両が189系。基本構造が183系と同じなので、183系と混ぜて編成を組むことも出来る(ただし、JR西日本にかつて在籍した183系はもとが485系だったので不可)。189系は長野新幹線開業で主運用だった「あさま」の運用が無くなり、「あずさ」の183系を一部置き換え、長野地域の普通列車・快速列車に使用されるようになった。北陸新幹線延伸の際に長野地域での定期運用が無くなり、もっぱら臨時快速「ホリデー快速富士山」「ムーンライト信州」や臨時特急「あずさ」「かいじ」での運用が中心となっている。残る4本の内、豊田車両センターのM50編成が2017年1月25日で引退することが11月22日に発表されている。


国鉄色の189系。現役国鉄色は豊田のM51編成だけだが、あいにく写真が無かったので、かつて存在した大宮のOM101編成で代用。写真は上越線方面からの臨時特急を赤羽駅で撮影した物。


あずさ色の189系。豊田車両センターのM50編成で、主に臨時快速「ホリデー快速富士山」や、臨時「あずさ」「かいじ」で運行される。グリーン車が無く、普通車だけの6両編成。時刻表で、「一般形特急車両で運転」と書いてあったら、このあずさ色か、国鉄色か、グレードアップあずさ色のいずれかが運行される。写真は、八王子駅で撮影した「ホリデー快速富士山」。なお、M50編成は2018年1月25日の団臨で引退の予定となっている


グレードアップあずさ色の189系。元々はJR化後に183・189系の指定席車座席をハイデッカー構造に嵩上げし、シートピッチを拡大。窓も広げたのがグレードアップ編成。そのグレードアップ車で「あずさ」に投入された編成がこの塗装に変更された。その後、あずさ色へ再度変更されている。なお、写真の豊田車両センターM52編成は実際にグレードアップ車なのは新宿側先頭車だけで、他の車両はグレードアップされていない普通車である。


205系
国鉄末期に登場したオールステンレス通勤形電車。山手線に投入された初期型のみ側面の窓が2段式になっていて、その後の車両は1段下降式になっている。
JR化後に製造された車両が大半で、JR化後は相模線用500番台、京葉線用、武蔵野線用、阪和線用1000番台など、前面形状変更を含めたバリエーションが登場。
さらに山手線、埼京線の置き換えで、大量の205系改造転属が発生。先頭車が不足したことで、先頭車化改造車も多数登場している。
国鉄末期の通勤型電車ではあるが、近年はJR東日本で大量廃車が発生し一部がインドネシアへ輸出(埼京線、横浜線、南武線用など)され、JR西日本でも廃車が発生している。


武蔵野線用205系。JR化後に登場した武蔵野線用に製造された205系で、オリジナルの前面形状から大幅に変更を受けている。同様の先頭車形状変更は、先に京葉線用に投入された車両でも見られた。前面はFRP製になったので、オールステンレスでは無くなっている。製造数が8連5本のみの少数派で、内1本はVVVF化改造を受けて5000番台に組み込まれている。運用区間は京葉線乗り入れを含む府中本町〜東京/海浜幕張。205系では珍しい転属していない電車となっている。


205系500番台。JR東日本が相模線の電化に伴い投入した新造車で、国鉄車ではない。4両固定編成で、相模線以外は横浜線の橋本〜八王子に乗り入れるだけ。登場から相模線を離れることも無く、置き換え予定も未だ発表されておらず、武蔵野線用205系と同じく転属経験が無い205系となっている。最近になって帯の色が少し青が強くなった更新車も出てきたので、当面は相模線運用のままと思われる。写真はオリジナル車のもの。


205系600番台東北本線(宇都宮線)用車両。元は埼京線で運行されていた車両で、E233系7000番台の投入で余剰となった車両の内、4両2本が宇都宮〜黒磯と日光線で活躍している。国鉄時代に登場した205系0番台のスタイルの顔つきを維持しているが、前面の行き先表示機は埼京線時代にLED化されている。



205系600番台。JR化後に京葉線向けに登場した前面形状を変更したタイプの先頭車。宇都宮地域の205系は大半がこのスタイルの顔だが、ほとんどが湘南色で、わずか4本の日光線用車両は塗装が焦げ茶とベージュになっており、行き先表示機の字体が毛筆体になっている。先日、1編成が観光用改造車「いろは」になることが発表されたので、今後205系初のジョイフルトレインが誕生することになる


武蔵野線用205系5000番台。主に山手線からの転属車で構成される8両編成だが、電動車不足を補うために界磁添加励磁制御からVVVFインバータ制御へ変更。電動車4両でも、0番台の電動車6両と同等以上の性能を確保した。京葉線で運行される電車の大半を占めている。



富士急行6000系。元山手線の205系等を改造して投入された電車で、1次車の2段窓を維持している編成がある。富士急行線内の普通列車用であるが、改造時に水戸岡鋭治氏デザインの内外装となったため(写真上段)、外観形状こそ205系だが、内装はだいぶ様変わりしている。また、1編成は再度塗装(正確にはラッピングだが)が変更され、マッターホルン号となっている(写真下段)


南武支線用205系1000番台。元中央・総武緩行線と山手線の205系中間車を先頭車化改造し、JRに残っていた最後の101系3本を置き換えた。近年、リニューアルが行われ、シートモケットの交換と、側面帯に装飾が追加されている。なお、1000番台は元々JR西日本が投入した車両にも付けられていたのだが、番号の重複は発生していない


鶴見線用205系1100番台。元埼京線・山手線の205系中間車を先頭車化改造し、3両編成で投入した物。鶴見線の103系電車を全て置き換えた。


川越・八高線用205系3000番台。元山手線からの205系中間車を先頭車化改造し、4両編成で導入した物。投入線区が単線で待ち合わせ時間が多いことを踏まえ、各扉に開閉ボタンスイッチが付けられた。




仙石線用205系3100番台。元山手線の205系中間車を先頭車化改造し、4両編成で導入した物。一部の車両は2WAYシート(ロングシートが回転してクロスシートになる物)を装備しており、この手の回転式シートとしてはJRで唯一の車両である。2編成がマンガッタンライナーにラッピングされている。なお、東日本大震災で一部の編成が津波に被災し、廃車が発生した。

211系

211系0番台のJR東海所属車。4連2本だけが存在し、JR東海で最後に残った国鉄車である。JR東海はJR他社に比べ、十分な資金力の一方で在来線の営業範囲が広くは無く、他社に先駆けて国鉄型車両の置きかえが進んだが、211系は国鉄最末期の車両で、JR化後に大量の5000番台を製造していることも有り、廃車されなかったと思われる。5000番台は全てロングシート車だが、0番台はセミクロスシートなので、乗ってみて驚くことも。


211系0番台のJR東日本所属車。元々は国鉄時代に東海道本線に投入された車両だが、E231系、E233系への置きかえに伴い中央本線/篠ノ井線運用の115系置き換えで長野に転属。その際に6両編成に短縮化されている(元は10両編成)。元々東海道本線の0番台が6編成しか無かったことも有り、長野に移っても希少な電車のままである。主に長野〜松本〜立川で運用される。車内はセミクロスシート。


211系1000番台。国鉄時代に寒冷地路線向けとして、東北本線・高崎線用に投入された車両。0番台同様に基本編成の10両編成で製造されたものが1000番台で、東北本線・高崎線へのE231系、E233系投入によって撤退。0番台同様に中央本線/篠ノ井線運用の115系置き換えで長野に転属し、3両編成化されて運行している。3両編成は3000番台が25編成、1000番台が11編成なので、1000番台に会える率が低い。車内はセミクロスシート。


211系2000番台。こちらは0番台の付属編成にあたる車両として登場したが、JR化後は基本編成でも2000番台製造された。車内はロングシート。東海道本線から中央本線/篠ノ井線運用に転属し、6連化されて主に長野〜松本〜立川で運用される。車内はロングシート。



211系3000番台。国鉄時代に1000番台の付属編成として登場したが、JR化後は基本編成も3000番台として製造された。寒冷地路線向けとして、東北本線・高崎線用に投入された車両だが、東北本線・高崎線系統へのE231系投入で最初に余剰になった5連が、そのまま千葉地区へ転属。113系と混ざって千葉以南の路線で運用されたが、再度長野へ転属している。長野地域の車両は、飯田線や中央西線のJR東海路線にも乗り入れる。また、長らく改造待ち疎開されていた車両などが、107系100番台置き換えで開閉ボタン式扉に改造の上で上越線・信越本線・吾妻線・両毛線に投入されている。


211系5000・6000番台。JR東海が製造した211系の一種で、国鉄車ではない。車内は全てロングシートで、名古屋地域の通勤需要向けに投入されたが、313系の投入によって中央本線系統に残る車両を除いて、主に静岡地域の113・115系置き換えに転属している。中央本線系統に残った車両は後年トイレが設置されたが、東海道本線系統の車両はトイレが無いままで、18きっぷで東海道本線を抜ける旅行者からは甚だ不評を買っている(313系が連結されていれば、313系側にはトイレがある)


213系5000番台(JR車だがおまけ)

213系5000番台。JR東海が関西本線の輸送改善向けに投入した車両で、JR化後の製造である。元々の213系は岡山地域の115系置き換えに国鉄が投入した車両なので掲載した。以前は、関西本線、中央本線で運用されていたが、転換クロスシートの車内は良い物の、2扉でトイレ無しという車両はラッシュ対応にも長距離運用対応にも中途半端になっていたため、全車トイレ取り付け改造後に飯田線へ転属した。


485系ジョイフルトレイン
国鉄型特急の代表的な車両である485系。直流1500V、交流20000V50Hz、交流20000V60Hzの3電源対応車として、北は北海道から南は九州まで姿を見ることが出来た車両だが、老朽化に伴う車両置きかえが進み、オリジナルの形状を持つ車両はすでに消滅。残ったのは、JR化後に車体を新製または改造したJR東日本のジョイフルトレインのみとなっている。元々の車両は183・189系だった車両もいるが、これは交直流化で485系と名乗ることになったものである。近年は老朽化廃車も進んでおり、すでに「ニューなのはな」「彩」が引退している。


485系「NO.DO.KA」。189系を種車にしたジョイフルトレインで、当初は「シルフィード」と言う名前で全車グリーン車だった。485系ジョイフルトレインの先駆けで、前面形状は「パノラマエクスプレスアルプス」を踏襲した前面展望になっている。2001年に普通車格下げで「NO.DO.KA」の名称となった。2018年1月での引退が決まっている。


485系「リゾートエクスプレスゆう」。183・189・481系を種車にしたジョイフルトレインで、当初は欧風グリーン車で登場。その後お座式車に改造されている。485系ジョイフルトレインでは古参で、所属は勝田車両センターだが、中央本線などにも顔を見せている。改造時期が古いため、そろそろ引退するんじゃないかと疑われる車両の1つ。ほとんど団体臨時列車で運用されており、通常の臨時列車運用があまりない。近年は運用自体も減少している。


485系「宴」。客車お座敷列車の老朽化に伴い登場した485系お座式車の先駆け。種車は485系で、主に首都圏の団体臨時列車専用として運行されているため、通常の臨時列車運用に入ることがほぼ無い。このため、何らかのツアーでないと、なかなか乗車できない電車である。


485系「華」。485系を種車にしたお座式車で、12系客車お座式車の老朽化置きかえの為に登場した。宴同様に主に首都圏の団体臨時列車専用として運行されているため、通常の臨時列車運用に入ることがほぼ無いが、まれに通常の臨時列車として運行されていることがある。先頭車形状は、この後に登場する485系ジョイフルトレインの基本となった。


485系「きらきらうえつ」。485系を種車にした観光列車で、団体用ではなく羽越本線の臨時快速列車として登場した。主に、新潟〜酒田を土日・祝日に1往復している。車内はリクライニングシートで、1両はラウンジ・ビュッフェとなっている。また、先頭部は展望スペースとなっている。


485系「リゾートやまどり」。群馬デスティネーションキャンペーンで2011年に登場した観光列車。種車は485系で、元々「やまなみ」「せせらぎ」という2つの団体列車用車両だったものを、「せせらぎ」の4両全車と、「やまなみ」の中間車2両を組み合わせて登場した。主に吾妻線系統への臨時列車として運用されており、快速または臨時特急列車で運行されている。


485系「ジパング」。「やまなみ」で余剰になった2両の先頭車と、485系3000番台の中間車2両を組み合わせ、2012年のいわてデスティネーションキャンペーンで登場した。平泉の中尊寺金色堂をイメージした車両塗装で、先頭車は窓向きボックスシート、中間車はリクライニングシートになっている。485系の特急車両が全車引退した現在、数少ない元の485系の形状を維持しているのが、中間車の3000番台2両である。

以上でした。
最初は気動車も載せようかと思ったんですが、解説書きすぎて挫折しましたんで、また今度。


今も残る現役国鉄型気動車 東日本編 2017年版

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2017年版現役国鉄型シリーズの2回目は東日本の気動車編です。

東日本編ということで、前回の電車と同様にJR北海道/東日本/東海とその周辺の私鉄・第三セクターが対象ですが、この5年間でJR東海は国鉄型気動車が絶滅してしまいました。
JR東日本でも廃車が進んでおり、今年度中に置きかえが済んでしまい姿を消す路線も出てきます。
当たり前のようにあった国鉄型気動車も、今や北海道を除けば東日本では風前の灯火なのです。

キハ20系
国鉄が昭和30年代に製造した一般形気動車。10系客車のノウハウを踏まえて、それまでのキハ10系気動車よりも車体を大型化して登場した一般形気動車。
平坦用がキハ20形、寒冷地用がキハ22形で1エンジン車。勾配路線用がキハ52形で2エンジン車となっている。ノスタルジックな外観で鉄道ファンの人気が高く、JRから撤退しても第三セクターで観光用として生き残る姿が見られる。


ひたちなか海浜鉄道キハ205。国鉄から水島臨海鉄道を経て茨城交通へ入線した車両。ひたちなか海浜鉄道となってからも現役で残り、同型車両が次々と引退していく中で、最後の生き残りの1両となった。なお、国鉄時代の車番はキハ20-522でラストナンバーらしい。また、水島臨海鉄道に今年春まで残っていたキハ20形もキハ205だったので、最後に残ったキハ20形はどちらもキハ205だった


いすみ鉄道キハ52形。JR西日本大糸線で運用されていたJR最後のキハ52形3両の内1両をいすみ鉄道が購入し、観光急行列車として走らせている。大糸線時代末期は、黄褐色に青色の旧国鉄色だったが、いすみ鉄道入線時にクリーム色に朱色の国鉄一般色に変更。その後の検査時にアンケートで人気が高かった朱色一色に塗り替えられた。

キハ58系
国鉄の代表的な急行形気動車キハ58系。急行列車の衰退と共に、各地で普通列車、快速列車として運用されてきたが、老朽化により次々と引退。
ジョイフルトレインに改造された車両も少なくなかったが、「Kenji」を除いて全て引退した。
キハ58形が2エンジン車、キハ28形が1エンジン車で、冷房使用のためにはキハ58形はキハ28形かキハ65形から冷房用電力を供給する必要があった。また、北海道用に設計されたキハ56系もあったが、これも全廃されている。


いすみ鉄道キハ28形。JR西日本で最後まで残っていたキハ28形を購入し、キハ52形の僚友として観光急行列車で運行されている。国鉄時代の一時期に千葉地域で運行されていたという縁がある。主にレストラン・キハはこちらの車両で実施されている。


JR東日本のキハ58系「Kenji」。現在JRで唯一稼働しているキハ58系で、主に盛岡を中心とした臨時快速、団体列車として使用されている。元々は「サロンエクスプレスアルカディア」という名前だったが、1両が車両火災を起こして廃車。後に補充改造されて、「Kenji」となった。塗装が2度変更されており、登場時は白色に水色だったが、後に緑色に変更。さらに青色に変更されている


キハ40系
昭和50年代から国鉄が製造した一般形気動車。キハ66系の後に登場しているのだが、大型の車体でありながらエンジンが定格220PSと非力で、客室内はそれまでのキハ20系に比べて改善された物の重量も増加。非力で重量増ということで、鈍重な気動車の典型とも言える。一方で車体の構造には設計上の余裕もあり、エンジン換装して現在も第一線で活躍している路線は多い。また、ジョイフルトレインへの改造も非常に多く、一般形から特急形へ昇格した車両もいる。両運転台がキハ40形、片運転台の両開き扉がキハ47形、片運転台の片開き扉がキハ48形となっている。


JR北海道キハ40形700番台。キハ40系では最初期車にあたる100番台をワンマン化改造した車両で、北海道内の多数の路線で活躍していたが、現在は1700番台への改造が進んで残りわずかとなっている。



JR北海道キハ40形1700番台。キハ40形700番台に延命工事を施した系式で、北海道内のローカル輸送の主力車両。ほとんどの車両がJR北海道の標準塗装(写真上)になっているが、一部根室本線系統に使用される車両に国鉄首都圏色の朱色車両がいる。また、道南いさりび鉄道にも継承されて、塗装変更/車内改造された物も出てきている。


JR北海道キハ40形400番台。札沼線の石狩当別〜新十津川の閑散区間用にキハ40形700番台を改造した車両。写真ではわからないが、他の700番台と異なってドア部分が黄緑色に塗られている。2両のみの存在で、札沼線の一部電化後も残留。しかし、北海道医療大学より先の廃止が取りざたされているため、路線廃止があれば廃車される可能性が高い車両でもある


JR北海道キハ40形350番台。一旦はキハ130形の軽快気動車に置き換えた日高本線で、キハ130形の老朽化が著しく早かったため、再度キハ40形を投入するに際してエンジン換装して性能向上を図ったタイプ。日高本線の鵡川以南が2015年の高波被害・台風被害などで運行不能となり、室蘭本線でも運用されるようになった。



津軽線、八戸線用キハ40系。盛岡色と呼ばれる上の写真の塗装と、一部国鉄首都圏色(下の写真)になった編成がある。どちらの路線も勾配があまり無いので、キハ110系での置きかえがされずにキハ40系で運用されてきたが、老朽化により八戸線にはキハE130系500番台が投入され、2017絵年度中に置き換えられる。津軽線には2020年度に新型電気式気動車GV-E400系が投入予定。


JR東日本五能線用キハ40系。白地に青ラインの塗装で、主に五能線の東能代〜弘前と一部奥羽本線(弘前〜青森)で運行されている。2020年度に新型電気式気動車GV-E400系が投入されることが予定されており、それにより全ての五能線用キハ40系が置き換えられる。


JR東日本男鹿線用キハ40系。男鹿線は全列車が奥羽本線秋田へ直通しているという運用特性から、キハ40系の置きかえは蓄電池列車のEV-E801系で行われることになっており、2017年から一部の運用がEV-E801系になっている。また、男鹿線運用のキハ40系は、朝の混雑を踏まえてロングシート車になっている。


JR東日本只見線用キハ40系。元々この塗装は仙台支社の標準塗装であったが、東日本大震災の際に運用路線であった気仙沼線が壊滅し、石巻線も女川再開時に運用がキハ110系に統一されたため、現在では只見線でだけ姿を見ることが出来る。現状、東日本のキハ40系で唯一置きかえの具体的な予定が発表されていない。





JR東日本新潟地域用のキハ40系。新潟地域は寒冷地域にもかかわらず、元々暖地用のキハ47形が多いのが特徴。塗装は1次新潟色(写真上段)、2次新潟色(写真中段上)のどちらかが基本だが、一部が国鉄首都圏色、国鉄急行色風になっている(写真中断下、下段)。磐越西線、羽越本線・白新線、只見線の只見以西で運用されているが、2017年度から順次GV-E400系に置き換えられる予定。


キハ48形「クルージングトレイン」。元「リゾートしらかみ 青池編成」の先頭車2両で構成。HB-E300系の橅(ぶな)編成投入で、後から改造されたキハ48形「元リゾートしらかみ 橅編成」の先頭車2両が転用されるのかと思ったら、まだその話が具体化しているように見えず、いつ廃車になるのかは微妙。車内はリクライニングシート。運転台後は展望スペース


キハ48形「元リゾートしらかみ 橅(ぶな)編成」。写真は運行中の頃の物。HB-E300系の新橅編成が2016年に投入された後の去就の情報があまり聞こえてこない中、現在のクルージングトレインの置き換えに使われるという噂もあったようだが、未だ実現していないので、このまま廃車されるのかどうか気になるところ


キハ48形「リゾートしらかみ くまげら編成」。キハ40系改造のリゾートしらかみとしては最後に投入された車両と言うことで、まだ置き換え計画も発表されていない。4両中の1両は、元青池編成中間車の転用。JR東日本秋田支社のホームページには、運行日ごとの予定編成が掲載されているので、乗りたい方はそれを見て列車を選ぼう。車内は1両だけ半固室のボックスシート、残るはリクライニングシート。運転台後は展望スペース


キハ48形「ビューコースター風っこ」。JR東日本では唯一のトロッコ車両(側面開放型車両)で、小牛田が本来の拠点ですが、東日本管内の幅広い範囲で運用されています。車体側面の開放部ははめ込み式の窓を付けることで雨天の運転や、寒い時期にもある程度対応しているのも特徴。


キハ48形「リゾートうみねこ」。東北新幹線の八戸延伸に備えて登場した「きらきらみちのく」が前身。「きらきらみちのく」時代は、主に八戸〜大湊〜三厩〜八戸などで運行されていたが、東北新幹線新青森延伸で八戸〜青森が青い森鉄道に移管されることから、八戸線の観光列車へ転用されることとなった。そこへ東日本大震災による八戸線の長期不通が発生。八戸線の区間運休中「リゾートうみねこ」は普通列車で運用され、八戸線全線復旧後も一部指定席の普通列車として運用されている。なお、中間車のみ和風ボックスシートで、先頭車はリクライニングシート。運転台後は展望スペース


キハ48形「リゾートみのり」。主に仙台〜鳴子温泉〜新庄を結んでいる列車で、改造はそれまでに登場したキハ40系改造のリゾート列車を踏襲している。特に、見た目からして「きらきらみちのく」をベースにしていることがわかるが、こちらは全車両リクライニングシートになっている。


キハ40・48形「越乃Shu*Kura」。すでに気動車の改造がキハ110系に移行しつつあった2014年に登場した、現状最後のキハ40系改造ジョイフルトレイン。1両は「びゅう」の旅行商品で、1両は一般販売される指定席。中間車はまるごとラウンジになっている。主に上越妙高〜長岡〜十日町または越後湯沢で運用中。


会津鉄道AT-400形「風覧望」。JR東日本のキハ40 511を改造した車両で、日本宝くじ協会寄贈の宝くじ号。「お座トロ」列車の会津若松側先頭車で、先頭部がハイデッカー展望構造になっており、下の方へ階段を降りて前面展望を楽しむこともできる。車内はリクライニングシートだったが、一部お座敷になった模様。


キハ54形500番台
国鉄末期に北海道の急行列車向けとして投入された気動車。酷寒地ということで、2扉デッキ付きの車内。車端部ロングシートながら、中央はリクライニングシート(回転しない固定式)か転換クロスシートになっている。石北本線、根室本線音別以東、釧網本線、宗谷本線、留萌本線で運用されている。



上がキハ54形500番台の一般色。下が根室本線釧路以東の花咲線区間で主に運用されるルパン三世ラッピング車。この他に2017年1月からは「流氷物語号」のラッピング車両が登場している。


キハ141系(厳密には国鉄車ではない)
JR北海道が余剰になった50系客車の車体を流用し、気動車に改造した物がキハ141系。キハ141形、キハ142形、キハ143形、キサハ144形があったが、札沼線(学園都市線)の電化によって多くが運用を終了。一部の車両が室蘭本線のローカル輸送に転用されたほか、4両がJR東日本に譲渡されて「SL銀河」の客車兼気動車となっている。


室蘭本線苫小牧〜室蘭で運用されるキハ143形。711系電車の老朽化置き換えで投入された物。1日1往復は札幌までの運用も残っている。


JR東日本が「SL銀河」の客車および補助動力の気動車として利用すべく、JR北海道から購入した車両。車内外は大幅に改造されているが、窓は一部が埋められたのを除いておおむねそのままになっている。花巻駅への入線時などでは気動車として運転台を利用して入線してくる。勾配のある釜石線で、C58形の負担軽減目的での気動車運転も行っている。


キハ183系
国鉄末期に北海道のキハ82系特急形気動車を置き換えるべく投入された特急形気動車。初期型0番台は着雪防止を目的とした角張った先頭車形状が特徴で、スラントノーズと呼ばれる。後に製造された500・1500番台からはキハ185系のような貫通扉付の構造となり、JR化後も製造が続いた。0番台は最高時速110km/hだったが、500番台以降は改造で120km/hに対応。さらに130km/h対応車も出てきて主に「北斗」へ投入された。2014年以降の特急列車の故障頻発/車両火災を受けて、近年は老朽化置き換えを進行中。また、ジョイフルトレインとしてJR化後に新造された車両も、「ニセコエクスプレス」がすでに引退した。「旭山動物園号」も本来の運用からは撤退しており、最近は「オホーツク」に連結されている模様。


原型先頭車のキハ183系「オホーツク」。2017年のダイヤ改正前は札幌〜網走を全区間「オホーツク」が運行していたが、ダイヤ改正後は4往復中の3往復が旭川折り返しの「大雪」となった。最高速度が低いことで性能が安定しているのか、後に登場した「北斗」用の車両などの方が老朽化が著しいようで先に廃車されている物もある。今年度で0番台は全車引退予定。



キハ183系後期形。500・1500番台として当初登場。何度も改造し続けているため、改造段階ごとに細かな番台区分が発生している。「北斗」には130km/h対応車が基本的に投入されているが、老朽化に伴い徐々にキハ261系1000番台へ置き換えられている。以前は「サロベツ」「とかち」にも運用があったが、現在は「北斗」および「オホーツク」での運用のみ。


キハ183系5100番台「クリスタルエクスプレス トマム & サホロ」。JR化後の製造。前面展望構造を持つのが特徴だが、2010年に発生した789系1000番台の踏切事故を踏まえ、現在は展望スペースの座席を撤去し進入不可とされ、前面展望は全くの無駄状態になっている。主に富良野方面への臨時特急で使用されている。


キハ183系5200番台「ノースレインボーエクスプレス」。JR化後の製造。ハイデッカー、ダブルデッカー構造を持つリゾート気動車で、130km/h運転にも対応している。主に春から秋は富良野方面、冬場は「流氷特急オホーツクの風」として石北本線方面で運用される。また、最高速度の高さを生かし、キハ261系「スーパー宗谷」の代走に用いられていたこともある。


おまけ

事業用車のマヤ34 2008。北海道で唯一の軌道検測車で国鉄型。自走できないので、キハ40形やキハ141系に挟まれて運行している。


こうしてまとめてみると、特にJR東日本で風前の灯火になってきているのがわかりますね。道南いさりび鉄道を全然撮影していないので(北海道新幹線開業後、ほとんど函館に行っていないため。)、2月くらいにでも北東北/函館へ行きたいところですが。

2017年版
今も残る現役国鉄型電車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 東日本編 2017年版
現役のSLはどれだけいるのか? 2017年版

2012年版
今も残る現役国鉄形客車
今も残る現役国鉄特急形電車・気動車
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 西日本編
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 東日本編
今も残る現役国鉄近郊形・急行形電車
今も残る現役国鉄通勤形電車
現役のSLはどれだけいるのか?

今も残る現役国鉄型電車 西日本編 2017年版

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2017年版現役国鉄型シリーズの3回目は西日本の電車編です。

潤沢な資金と路線数の少なさから国鉄型の置きかえが最も早かったJR東海、自社工場から子会社化した会社に通勤型車両を量産させているJR東日本、元々電車自体が少なかったJR北海道に対して、電化路線が多いが資金力に劣るために古い電車を延命してきたJR西日本、国鉄末期に電化したために置き換えに至らないJR四国、順調に置きかえが進んでいるJR九州と、東日本地域とはだいぶ様相が違ってきます。それでも今年に入って西日本で大阪環状線と阪和線(支線除く)から103系がついに姿を消すなど、古い車両から姿を消していっているのは確かです。

103系
国鉄の代表的な通勤型電車。21年間に合計3400両以上も製造され、東京、大阪、名古屋、福岡の各経済圏で様々な103系が走っていたが、JR化後に後継車両に置き換えられて各線から姿を消していった。JR西日本では転用改造、延命工事によって現在も健在な車両が多数存在している。それでも、岡山、広島の地域輸送からは撤退、大阪環状線、阪和線からも撤退。JR九州でも地下鉄乗り入れ運用からは撤退したため、いよいよもって最終章を向かえつつある。


奈良線/関西本線/おおさか東線で運用されている103系。ウグイス色に先頭車に白帯が入るのが特徴。現在残る車両は延命工事を施されているが、大阪環状線、阪和線の置きかえが済んだことも有り、次の置きかえとして阪和線から撤退した205系1000番台が投入され、103系の置きかえが進むと噂される


阪和線の東羽衣支線用103系。鳳〜東羽衣の支線運用向けの専用電車。体質改善工事40Nを行った103系で、前照灯の埋め込み、戸袋窓の埋め込み、窓のサッシ変更や側面鋼体部分の拡大、前面窓の1枚窓化など、わりと徹底した工事が程こさえていて、103系としても違和感を覚える姿である


山陽本線支線(和田岬線)専用の103系。兵庫〜和田岬で朝晩しか運用が無いという特殊な用途のためか、予備車もなく1編成だけの存在。検査時は207系などの後継車種で運行されている。延命工事で戸袋窓は埋め込まれたが、前面はほぼ製造時のままなので、国鉄103系らしさが残る貴重な車両である



播但線用103系3500番台。播但線の姫路〜寺前電化に伴い、103系を改造投入した物。体質改善工事40Nを実施済み。本来の塗装は、写真上のワインレッドであるが、沿線の生野鉱山寮馬車道を踏まえた「銀の馬車道」ラッピングがいくつかの編成に施されている(写真下)


加古川線用103系3550番台。加古川線の電化に伴い、103系の中間車を先頭車化改造した車両。前面形状が103系や同じく改造車の105系4扉車と異なり、この車両独自の物となっている。なお、前面の黒塗りについては、その後に登場する225系にこの塗り分けパターンが踏襲された。


JR九州の103系1500番台。国鉄末期に製造された103系で、筑肥線・唐津線の姪浜〜西唐津電化に伴い登場した。老朽化に伴い6両編成は全て305系電車に置き換えられたが、現在でも3両編成が筑前前原〜西唐津の運用で残っている。


105系
国鉄末期に製造された閑散線区向け2両編成の直流型電車。最初から105系として製造されたタイプは、3扉ロングシートで登場した通勤電車であるが、103系から転用改造されたグループも存在し、こちらは4扉車となっている。ほとんどがJR西日本で現役であり、わずかに4両だけあったJR東日本の車両は早々に全廃されている。新造タイプは主に岡山・広島・山口地域で運用。103系改造タイプは主に和歌山線、桜井線と紀勢本線で運用されている。


105系オリジナル車。3扉の近郊形に近い通勤形。元々は福塩線の電化区間向けに導入された車両だが、その後宇野線、赤穂線、呉線、可部線、宇部線等で運用されている。一部は山陽本線内でも運用される。




和歌山・奈良地域用105系。103系からの改造車で、先頭車が105系オリジナル車と同じ形状のものと、種車の103系1000番台のままのものが存在し、おおむねその2両で編成を組んでいる。通勤型としては和歌山〜奈良はかなりの長距離運用でもあり、後年にトイレが設置された。塗装費用削減策で現在は青緑色一色になっているが、一部にラッピング車が存在している。


113系
湘南電車として知られる平坦線区用の近郊形電車。JR東日本、東海、西日本の各路線で投入されたが、JR東日本とJR東海は老朽化により全車廃車。JR西日本では体質改善工事を行い、車内がセミクロスシートから、転換クロスシートの新快速並の設備となった車両も多く、221系、223系、225系の投入で廃車が大幅に進んだが、まだ残存している。一方で国鉄時代は無かったJR四国は、111系の置き換えのためにJR東日本から113系を購入して改造投入している。こちらは置き換え予定は発表されていない。


湖西線向けの113系700・2700番台。体質改善工事済みで、車内は223系にも見劣りしない転換クロスシートへ改造済み。塗装一色化で緑色になっている。同じ車両は草津線でも運用されている。


福知山地域のローカル輸送向け113系5300番台。体質改善工事済みだが、元が300番台でボックス部の座席幅が狭いセミクロスシートはそのまま使用されている。主に、福知山〜東舞鶴の舞鶴線運用と、福知山〜豊岡の山陰本線運用に入っている。以前は113系の多かった福知山周辺だが、223系5300番台の投入で、現在はあまり姿が見られなくなっている。


紀勢本線の御坊〜紀伊田辺で運用される113系の2両編成2本だけの存在で、いずれも中間車の先頭車化改造。和歌山地域色の水色一色化されたために、一瞬スカイブルーの103系と見間違う姿となった。




JR四国の113系。国鉄から引き継がれた最後の111系が老朽化したことに伴い、JR東日本で余剰となった113系を購入して改造の上で投入した。貫通扉上の列車種別表示機を前照灯に変更し、貫通扉部に行き先表示機を設置。車内は転換クロスシートに改造されている。主に高松〜観音寺/琴平の地域輸送と、琴平〜岡山の関門海峡輸送も担っている。


115系
湘南型電車と呼ばれる111系車両を勾配路線/寒冷地用に設計しなおした車両が115系。山岳路線・寒冷地路線の直流区間の様々なところで投入され、黒磯から下関まで当車両を見ることができた。西日本では、岡山から下関の山陽本線、伯備線、呉線、可部線で主に運行されている。特に国鉄時代に投入された115系3000番台、3500番台は117系と同じく2扉転換クロスシートになっており、他の115系とは別の車種のようである。先頭車不足から、先頭車化改造車も多く、この姿も複数存在している。



115系300番台湘南色。岡山以西の車両はほとんどが塗装統一化で瀬戸内標準色として濃黄色に塗られているが、岡山の300番台2本が湘南色を維持している。他は写真下のような濃黄色。転換クロスシート化改造を受けた車両が多い中で、数少ない原型セミクロスシートを維持している車両である。






115系1000番台の先頭車化改造車。写真一番上は通常の先頭車。写真2段目は貫通扉の無い平面改造なので、塗装一色化されたこともあり、一見すると103系高運転台の改造車じゃないかと見間違える。写真3段目は貫通扉を持つ改造で、やや窓位置が低めなため、103系1000番台のような印象を受ける。写真4段目は下関近郊用で、123系に似た高運転台となっている。写真5段目はアニメ映画とのコラボラッピング車。




115系2000番台。主に広島地域に投入された115系でも後期に製造されたグループ。東海や東日本にもいたが、どちらも全廃されて広島地域に生き残っているのみ。写真上がかつての標準塗装新広島色だが、ほとんどの編成が中段の濃黄色になった。1編成だけ、下段のカープラッピング車が運行されている。主に糸崎から下関までの地域で運用されている。


115系3000番台。広島地域での列車増発用に製造された115系の最終製造グループ。117系の製造実績を踏まえて、2扉転換クロスシート仕様になっている。瀬戸内色→広島快速色→濃黄色と塗装変更が行われてきた。


117系
1979年から1986年にかけて、老朽化した153系を置き換えて新快速用に製造されたのが117系。2扉、転換クロスシートで、国鉄が製造した非優等列車用車両としてはグレードの高い車両となった。JR化後はJR東海地域の車両が313系で置き換えられ、JR西日本でも元々の関西地域における新快速輸送からは撤退し、湖西線・草津線向けと岡山地域の山陽本線向け、和歌山地域向けが残るのみとなっている。なお、一部の中間車は115系3500番台に組み込まれた。


湖西線・草津線用117系。緑色単色化されている。岡山/和歌山の117系は4両編成であるが、こちらは6両編成も残っている。


岡山地域用117系。サンライナー用塗装から濃黄色になった。元々は快速サンライナー向けで運用されていたが、快速列車が減ったため、普通列車で見ることも多くなっている。


和歌山色の117系。現在は和歌山地区統一色となっている。この写真は割と前に撮ったもの。主に紀勢本線の和歌山〜御坊と、和歌山線で運用されている。


121系




国鉄末期に電化した四国の予讃線および土讃線多度津〜琴平の輸送向けに投入された車両。登場時は写真上の赤色帯が国鉄色だったが、写真中段のJR四国コーポレートカラーの水色に全車塗り替えられた。その後2011年に2編成がワンマン改造化と共に国鉄色に戻されたが、2016年よりリニューアル工事として7200系への改造が始まった。元々101系の廃車発生品台車を使用していたが、台車を川崎重工のCFRP製efWINGに変更。駆動方式も直流抵抗制御からVVVFインバータ制御方式の交流モーターになった。合わせて車内のボックスシートが削減され、ロングシート部分が増えている。


123系
元々は123系という系式は存在せず、様々な荷物車、郵便車などを転用改造したもの。JR東日本、JR東海にも存在していたがすでに全滅。JR西日本では阪和線の東羽衣支線、宇野線等でも運用されていたが、現在はほぼ宇部線・小野田線専用形式となっている。運用の関係上、一部は山陽本線下関まで顔を見せる。全て1両編成の両運転台車両。


123系。現在は塗装統一で濃黄色になっているが、以前は白色に青帯を巻いていた。写真は片開き扉だが、一部両開き扉の車両もある。


201系
103系のフルモデルチェンジとして、電機子チョッパ制御方式と、回生ブレーキを導入した省エネ電車として登場した201系。関東では中央快速線、青梅線、五日市線、中央総武緩行線、京葉線などで活躍していたが全て撤退。関西では元々東海道・山陽本線の緩行列車で運用されていたが、207系の投入で大阪環状線/桜島線、関西本線/おおさか東線へ転属している。なお、関西の201系はいずれも体質改善工事に伴い、戸袋窓の埋め込みおよび窓冊子の交換、側面部分の鋼体拡大等が行われている。




写真上は大阪環状線はラインカラーのオレンジ、写真中が大阪環状線/桜島線用車両のUSJラッピング車。元々USJラッピング車は103系が担っていたが、103系の撤退により201系がラッピング車となっている。写真下は関西本線/おおさか東線向けウグイス色。


205系
国鉄末期に登場したオールステンレス通勤形電車。山手線に投入された初期型のみ側面の窓が2段式になっていて、その後の車両は1段下降式になっている。
JR化後に製造された車両が大半で、JR化後は相模線用500番台、京葉線用、武蔵野線用、阪和線用1000番台など、前面形状変更を含めたバリエーションが登場。
西日本では、0番台が7連4本だけ国鉄時代に投入され、東海道・山陽本線の緩行列車運用に着いたが、阪和線と行ったり来たりした結果、現在は阪和線運用となっている。
JR化後に阪和線向けに投入された1000番台は4連5本で、こちらは長く阪和線で活躍していたが、225系の投入で撤退。今後関西本線/奈良線系統の103系の置き換えに使用されるとみられている。


阪和線の205系0番台。最後の阪和線転属によって中間車1両が廃車されたので、今後東海道・山陽本線には戻らないと思われる。体質改善工事済みで、JR西日本の中では車齢が新しい方なので、今後も阪和線等で活躍することだろう


阪和線205系1000番台。JR化後の登場なので、国鉄車では無い。前面窓の大きさが変更され、運転台側の窓が狭くなり、運転台の無い側の窓が拡大された。体質改善工事も済んでいるが、阪和線の225系投入で撤退し、最近奈良へ運び込まれたことから、奈良線103系の置き換えに使われる可能性が高い。


213系
瀬戸大橋線の開通に先だって岡山地域の宇野線快速向けに登場したのが213系。登場時は3両編成だったが、その後快速マリンライナーの運行開始時にグリーン車先頭車が追加製造され、快速マリンライナーでは6両編成での運転だった。その後、JR四国5000系およびJR西日本223系5000番台によって置き換えられ、213系は再び岡山地域のローカル輸送に着くようになった。2両編成化に伴い先頭車が不足したため、一部は先頭車化改造されている。近年は体質改善工事も実施された。また、JR化後の製造だった先頭グリーン車は、事業用車へ改造された物を除いて廃車された。2016年にはジョイフルトレイン「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」に改造された編成も登場している。なお、JR東海の213系5000番台は全てJR化後の登場。



213系。現在はほとんどが2両編成での運用。一部3両編成がある。主に、伯備線新見以南、赤穂線、宇野線で運用されているが、223系5000番台の故障代役で再度マリンライナーとして走った実績もある。写真下が先頭車化改造車の車両で、白い鋼体部分が長めで形状も違うので一目で見分けが付く


381系
カーブが多い路線の特急列車を高速化するため、国鉄が製造した自然振り子式の特急形電車が381系。当初は中央西線の「しなの」に投入されたが、JR東海では383系への置きかえで全廃された。関西地域では、阪和線・紀勢本線の「くろしお」で投入され、287系の投入で一部が「こうのとり」でも活躍していたが、全て廃車済み。現在は「やくも」に投入された車両だけが残っている。「やくも」用の車両は以前は「スーパーやくも」が紫系、「やくも」が緑系の塗装になっていたが、全て「ゆったりやくも」への改造で赤色系になった。



381系「やくも」。一部のグリーン車は写真下の展望グリーン車に改造されている。これらの展望グリーン車は、かつて「スーパーやくも」の車両だった。


413系
国鉄末期に471・473・455・475系等の急行形電車の車体更新として登場した金沢・富山地区向けの電車が413系。2扉のセミクロスシート車で、扉は両開きとなっている。3両編成で、北陸地域のローカル輸送用として活躍してきたが、北陸新完成開業時にJR西日本から一部があいの風とやま鉄道へ譲渡された。JR西日本に残った編成は、主に七尾線運用に入っている。


JR西日本の七尾線向け413系。赤色一色塗装となっている。415系800番台も同じ塗装なので、側面の扉を見ないと、一瞬どちらの車両だかわからない。


あいの風とやま鉄道の413系。JR時に青色一色塗装となったが、ラッピング車を除いてそのまま青一色で用いられている。521系が全て2連ということで、3連の輸送力を生かして主にラッシュ時に活躍している。


415系
国鉄が1971年以降に投入した交直流型電車が415系。直流/交流50Hz用だった401・403系、直流/交流60Hz用だった421・423系を統合して、3電源対応で製造された車両。車内はセミクロスシートで当初登場したが、その後ロングシートに改造された物も多い。JR東日本では常磐線/水戸線、JR九州では鹿児島本線、日豊本線、長崎本線で運用していたが、JR東日本はE531系に置きかえで全廃。一部はJR九州に転属している。JR九州でも博多地域での運用は減少しており、その分鹿児島や熊本、大分での運用が見られるようになっている。


415系鋼鉄車。関門トンネルで交直流車が必要という事情もあり、JR九州では数少ない国鉄型電車の生き残りとなってきている。小倉地域運用車に一部セミクロスシートが残るが、熊本、大分、鹿児島ではロングシート車が運用され、主にラッシュ時で運用されている。


415系1500番台。415系のステンレス車版。113・115系の置き換え車種は211系とされたが、415系1500番台は鋼鉄車との併結も可能なように設計されたためか、番台区分だけの変更になった。全車ロングシートで、主に小倉地域の輸送で運用されている。


415系800番台。七尾線の直流電化に伴い、交直流車両が不足したため、113系を485系の機器を転用して交直流車に改造した物。主に七尾線で運用される。塗装統一化で赤色塗装になっている。


713系
国鉄末期の1983年に製造された2両編成のローカル輸送向け交流形電車。国鉄の財政赤字で900番台2連4本の製造で打ち切られた。導入当初は長崎本線/佐世保線運用に入っていたが、宮崎空港線の開業に伴い宮崎に転属。車内も国鉄時代のセミクロスシートから、485系廃車発生品の回転リクライニングシートに交換された。また、900番台で登場したが、その後0番台の製造も無かったためか、後年0番台に変更されている。


713系。「サンシャイン」の愛称が付けられている。主に延岡〜宮崎空港の区間輸送に用いられている。


おまけ クモヤ145形
101系電車の改造名義で主電動機や電動発電機、台車などを流用して製造された事業用車。平坦路線向けで、老朽化に伴い近年はだいぶ数を減らしている。


広島のクモヤ145-1102。この手の事業用車は仕事が無いときは車庫の定位置で寝ているので、このように撮りやすい場所にいる車両は少ない。この写真は天神川駅ホームから撮影した物


おまけ2 443系
1975年に製造した電気検測用の事業用交流直流両用電車。JR東日本の所属車はすでに廃車。残ったJR西日本の所属車だが、この手の車両を持っていないJR九州やJR四国にも貸し出されて計測を行っている。キヤ141系への置きかえが想定されていたが進まず、現在でも元気に活躍している。


2003年に当時の熊本駅で撮影した443系。運転台が国鉄特急形に準じているため、今や数少ないこの形状を残す車両になった。


もう少し早くアップしたかったんですが、車種が多くて思ったより時間がかかっちゃいました。
東側に比べると、西側はまだ国鉄型の残存が多いですしね。あと5年経ったら東日本から国鉄車が消えていそうですけど、西日本にはまだまだ残っている気がします。

2017年版
今も残る現役国鉄型電車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型電車 西日本編 2017年版
現役のSLはどれだけいるのか? 2017年版

2012年版
今も残る現役国鉄形客車
今も残る現役国鉄特急形電車・気動車
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 西日本編
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 東日本編
今も残る現役国鉄近郊形・急行形電車
今も残る現役国鉄通勤形電車
現役のSLはどれだけいるのか?

今も残る現役国鉄型気動車 西日本編 2017年版

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12月に入ってからいろいろ忙しく、だいぶ間が空いてしまいましたが、2017年版現役国鉄型シリーズの4回目は西日本の気動車編です。
範囲としてはJR西日本、四国、九州およびその周辺私鉄/第三セクターとなります。

西日本地域の気動車も残っているのはキハ40系と、国鉄末期に製造されたグループが中心ですが、5年前に比べてもあまり廃車の進行は早くなく、この5年間で大きな変化があったのは水島臨海鉄道くらいですね。
一方で主に九州ではキハ40系改造のB&S列車が増加を続け、西日本でも近年増えてきました。四国はキハ32形、キハ40系、キハ54形、キハ185系の改造車が増えました。
緩やかに廃車が進んでいる物の、この5年で一気に国鉄型気動車が姿を消したJR東海、だいぶ減少したJR東日本に比べれば、西日本地域は変化が少ないですね。
住んでいるのが関東という都合上、どうしても観光列車はカバーし切れていないのですが、手持ちの範囲で紹介していきたいと思います。

キハ30形
国鉄が1961年から製造した通勤型気動車キハ35系。3扉ロングシートの構造で、外吊り式扉の構造が特徴。キハ35形が片運転台、キハ30形が両運転台。全国の平坦路線で投入されたが、電化の進展や老朽化で徐々に姿を減らしていき、最後にJRで残ったのは久留里線であった。その久留里線で運用されていた最後の車両のうち2両が水島臨海鉄道に譲渡された。ただし、1両は部品取り用になっているようで、稼働しているのはキハ30 100のみとなっている。


水島臨海鉄道キハ30 100。久留里線末期に塗り替えられた国鉄標準色のまま活躍しており、キハ38形とユニットを組む。非冷房車で、平日のラッシュ時以外は運用が無く、写真のように三菱自工前駅奥の車庫で寝ている。


キハ37形
国鉄が1983年に製造した気動車。5両だけが先行量産車として製造されたが、量産されることは無かった。国鉄で初めて直噴式ディーゼルエンジンを採用し、台車など一部は廃車発生品を利用した。ロングシートの車内となっている。JR西日本に引き継がれた2両はすでに廃車されたが、JR東日本に引き継がれた3両は久留里線で長く活躍。久留里線へのキハE130形100番台導入に伴い余剰となったところを、3両とも水島臨海鉄道に譲渡された。水島臨海鉄道では、2両がキハ37形同士、1両がキハ30形またはキハ38形と組み合わせて運行されている。


水島臨海鉄道色のキハ37形2両編成。平日朝夕のラッシュ時のみ運行される。


まん中やや左奥にいるのが、キハ37形のもう1両。国鉄一般色に塗装されているが、国鉄時代およびJR時代にこの塗装になったことは無い。キハ37形が3両しか存在しない上に片運転台のため、この車両はキハ30形やキハ38形とユニットを組むことになる


キハ38形
八高線の老朽化したキハ35系の一部置き換え用に7両だけ登場した通勤型気動車。キハ37形をベースにしているが、エンジンは若干変更されている。登場時から冷房車。八高線の電化およびキハ110系化に伴い久留里線へ転属。久留里線でキハE130形100番台によって置き換えられた後は、1両だけが水島臨海鉄道へ転出した。他に1両は千葉県のポッポの丘に保存。残る5両はミャンマーへ渡っていった。


水島臨海鉄道のキハ38形。国鉄・JR時代とは異なり、国鉄一般色に塗られている。なお、国鉄時代は白色に赤帯の塗装だった。


キハ66系
1974年から筑豊地区の輸送改善のために投入された気動車。キハ66形とキハ67形の2両で1ユニットを組む。当時は新幹線0系くらいしか国鉄で採用例がなかった転換クロスシートを採用し、キハ181系の大出力エンジンを改良して出力を落とし、普通/快速列車で2両編成15本が投入された。その後、長崎本線/大村線/佐世保線へ転属し、現在は主に長崎〜佐世保の普通列車、快速列車と、長崎本線長与周りの普通列車で運用されている。


シーサイドライナー色のキハ66系。この塗装が現在の基本塗装。


国鉄急行色のキハ66系。他にハウステンボス色もある。


キハ40系
昭和50年代から国鉄が製造した一般形気動車。キハ66系の後に登場しているのだが、大型の車体でありながらエンジンが定格220PSと非力で、客室内はそれまでのキハ20系に比べて改善されたものの重量も増加。非力で重量増ということで、鈍重な気動車の典型とも言える。一方で車体の構造には設計上の余裕もあり、エンジン換装して現在も第一線で活躍している路線は多い。また、ジョイフルトレインへの改造も非常に多く、一般形から特急形へ昇格した車両もいる。両運転台がキハ40形、片運転台の両開き扉がキハ47形、片運転台の片開き扉がキハ48形となっている。


JR西日本のキハ40形。写真は岩徳線向けの車両だが、JR西日本ではキハ40系が非電化区間の主力の1つであるため、多くの地域で姿を見ることができる。




JR西日本のキハ47形。JR西日本のキハ40系は体質改善工事を受けているため、側面窓がオリジナルと異なっている。JR化後は、高岡地域色、加古川線色、姫新線色、岡山地域色、広島地域色など複数の塗装があったのだが、塗装統一化により元々米子支社だけが貫いていた国鉄首都圏色を全地域で実施することとなった。


JR西日本キハ41形。キハ47形を両運転台化改造した車両。主に、山陰本線の豊岡〜香住と、播但線寺前〜和田山で運行されている。




JR四国のキハ40・47形。JR四国ではキハ40系のエンジン交換などの延命処置はほぼ行っておらず、徳島地域に1500形気動車を徐々に投入していくことで、キハ40系の淘汰を少しずつ進めている。現在は、徳島地域、松山地域にわずかな車両が残るのみで、徳島の2両が国鉄首都圏色となっている




JR九州色のキハ40形、キハ47形、140形、147形。JR九州ではキハ40系の改造車が多く、エンジン換装またはエンジン改良を施している車両が多く、一部がキハ140形、キハ147形になっているほか、大半が3500以上の大きな車両番号に改番されている。


アクアライナー色のキハ47系。かつてアクアライナーとはキハ58系改造のジョイフルトレインであったが、そちらはだいぶ前に廃車済み。現在、香椎線運行のキハ47形が主にこの塗装となっている。


日南線カラーのキハ40形。日南線で運用される車両の一部がこの塗装となっている。





高岡地域で運行される忍者ハットリくんラッピング車。忍者ハットリくんの原作者藤子不二雄A氏は氷見出身である




主に境線で運行される鬼太郎ラッピング車。ゲゲゲの鬼太郎の原作者、水木しげる氏は境港出身である


JR東日本の烏山線で運行されていたキハ40形1000番台のうち1両(烏山線色)が、錦川鉄道に譲渡された。車内をレトロ調に改装の上、観光列車として使用されているようである。写真は烏山線運行当時のもの



JR四国のキロ47形「伊予灘ものがたり」。休車されていたキハ47形2両を改造した、JR四国では唯一のキハ40系改造観光列車。グリーン車となっているが、メインは車内での食事を楽しむこと。松山〜伊予大洲〜八幡浜を下灘経由で走っている


JR西日本のキハ47形7000番台「瀬戸内マリンビュー」。呉線向けの観光列車で、JR西日本では初めてのキハ40系改造観光列車となった。1両が指定席用でソファーのシートとなっているが、もう1両は一般車である。


JR西日本のキハ47形7000番台「みすゞ潮彩」。2007年に改造されて登場したが、2017年に「○○のはなし」に再改造された。再改造後の写真はまだ撮っていない。

この他に、JR西日本にはキハ48形「花嫁のれん」、キハ40形「ベル・モンターニュ・エ・メール(べるもんた)」があるのだが、あいにくこれらは撮影できていない。


JR九州のキハ47・140・147形「はやとの風」。九州新幹線の新八代〜鹿児島中央開業に伴って肥薩線吉松〜鹿児島本線鹿児島中央の間で運行を開始したキハ40系系列改造車。キハ40系初の特急列車であるが、2017年ダイヤ改正で土日のみの運行に削減されることが決まっている。なお、キハ140形は元々最初に「はやとの風」になった車両の1つだが、現在は主に「指宿のたまてばこ」で運用されており、「はやとの風」とは共通予備車となっている



JR九州のキハ47・140形「いさぶろう」「しんぺい」。元々肥薩線人吉〜吉松には、キハ31形を簡易お座敷車とした「いさぶろう」「しんぺい」が運行されていたが、九州新幹線の暫定開業に合わせてキハ140形1両が改造投入され、好評につきキハ47形が2両増備された。2017年春からは車内設備を変えないまま(快速レベルの座席のまま)、熊本〜人吉は特急扱いの運行となった。



JR九州のキハ47・140形「指宿のたまてばこ」。九州新幹線全線開通に伴い、指宿枕崎線の観光列車として投入された。キハ140形は元々最初に「はやとの風」になった車両の1つだが、現在は主に「指宿のたまてばこ」で運用されており、「はやとの風」とは共通予備車となっている。



JR九州のキハ47形「かわせみ・やませみ」。熊本〜人吉向けに2017年に投入された観光列車。人吉側が濃い青色に塗られた「かわせみ」、熊本側が濃い緑色に塗られた「やませみ」になっている。撮り鉄的にはかなり日光の反射が激しく、撮りづらい列車。

この他に、JR九州では「或る列車」がキハ40系改造の観光列車として存在するが、こちらは旅行商品専用車でまだ乗車していないこともあり(つうか料金高すぎ)、写真がない。


キハ31形
国鉄末期に九州用に投入されたステンレス車体の両運転台気動車。車内は0系廃車発生品を利用した転換クロスシート(一部は新造)だが、トイレはない。熊本、唐津、大分地域に投入されたが、一部が鹿児島に移ったり、1両がくま川鉄道に譲渡されたり(廃車済み)もした。現在は主に熊本地域で三角線運用に入る。筑豊地域では若松線、後藤寺線および原田線にも入っていたが、BEC819系電車の投入で若松線から撤収し、現在は定期運用を持たない予備車となっている。また、これにより2017年に大量に廃車も発生した。


キハ31形。現在はほぼ三角線専用形式だが、かつては九州内の様々な路線で運行された。トイレなしがネックとなり、より古いキハ40形よりも先に廃車が進行しつつある。


キハ32形
国鉄末期に四国用に投入された小型気動車。16m級の両運転台、ロングシート、トイレなしという、短距離の第三セクター向け気動車並みの設備となっている。それにもかかわらず、平気で2時間以上走りっぱなしの運用に入るのが恐ろしい。新潟鐡工所製は前照灯が丸型で予土線や予讃線、内子線で運用される。富士重工製は前照灯が角形で、土讃線で運用される。近年は予土線向けの車両2両が改造を受け、「海洋堂ホビートレイン」と「鉄道ホビートレイン」となっている。JR化後はトロッコ列車としてキクハ32形が登場。車体長からキハ32形一族に組み込まれているが、クが意味する通りエンジンのない制御車で、キハ185系とセットで運用されている。


富士重工製のキハ32形。富士重工製の車両は主に土讃線で運用されているが、土讃線でトイレなしのまま長距離運用される地雷車両でもある


新潟鐡工所製のキハ32形。前照灯が違う以外は、おおむね富士重工製と同じだが、運用範囲が予讃線松山〜宇和島と、予土線となっている。やはりトイレが無いのに長距離運用する地雷車両である


キハ32形「海洋堂ホビートレイン」。現在の塗装は三代目で、「かっぱうようよ号」と名付けられている。車内は一部展示スペース。



キハ32形「鉄道ホビートレイン」。JR史上最大の魔改造列車として、広く注目を集めた。車内は一部展示スペース。また、0系の転換クロスシートもボックス化して設置されている



キクハ32形。JR化後の登場。最初に登場した501が好評で、2両目の502を投入。502はのちに「アンパンマントロッコ」へ改造され、現在は2代目デザインとなっている。一方の501は汎用的に使われているが、2017年9月に「志国高知 幕末維新号」にラッピングされた

キハ54形
国鉄末期に四国用に投入された大型気動車。四国用は0番台、北海道用は500番台となっている。急行用であった500番台と比べ、普通列車用の0番台は車内がロングシートのデッキなしで、トイレもついていない。主に土讃線、予土線、予讃線/内子線の非電化区間で運行されている。1両が「しまんトロッコ」の指定運用車となり、専用に塗装されているが、車内はほぼ元のままである。


キハ54形の一般車。車体前面にアンパンマンのキャラクターシールを貼り付けている車両が多い。トイレ無しで長距離運用する地雷車両である


「しまんトロッコ」用のキハ54形。塗装変更された以外はほぼ元のままで、間合い運用で予讃線を走っていることもある


キハ183系1000番台(JR化後の製造)
キハ183系は北海道の特急用に製造された車両であるが、JR九州が新規に観光用の気動車を製造するに際して、キハ183系500番台と同じエンジンを採用したという経緯から、キハ183系1000番台として登場した4両編成1本のみの存在。この車両は数奇な運命をたどっており、当初は485系併結性能を持った「オランダ村特急」として登場。その後、「ゆふいんの森」の第2編成となり、続いて大村線向け特急「シーボルト」となったが、早々に撤退。「ゆふDX」として久大本線に戻ったものの、こちらも撤退して、現在は豊肥本線向け「あそぼーい!」となっている。


キハ183系1000番台「あそぼーい!」。熊本駅で撮影したものだが、この当時すでに熊本の震災後で、豊肥本線不通状態で鹿児島本線運用となっていたが、所属が熊本のため熊本まで回送されていた


キハ185系
四国向けに製造された特急型気動車。国鉄初のステンレス製特急型車両となった。キハ181系に比べて編成自由度が高く、2両ないし3両で編成を組んで、6両程度まで連結することもできるが、現在はほぼ3両編成以下での運行。JR化後も製造されたが、JR四国は後継に2000系特急型気動車を製造した為、余剰が発生。余剰となった車両はJR九州へ売却されたため、現在四国と九州で姿を見ることができる。四国、九州とも近年は観光用改造車が出てきている。


国鉄色(微妙に異なるらしいのだが)のキハ185系。キクハ32形が緑色ということで、牽引車には国鉄色の車両が優先的に充当されていた


四国色のキハ185系。コーポレートカラーである水色で塗られている


剣山色と呼称される塗装のキハ185系。実際のところは、特急「剣山」「むろと」「うずしお」のいずれにも運用されている


キロハ186形「ゆうゆうアンパンマンカー」。最近塗装が変わったのだが、リニューアル後の姿を撮影できていないので、リニューアル前の写真。半室はプレイルーム、半室は指定席のアンパンマンシートになっている


「アンパンマントロッコ」牽引専用のキロ185形。「アンパンマントロッコ」のリニューアル時に牽引車だったキハ185系が車内改造の上でグリーン車に格上げされ、専用塗装を施された


キロ185系「四国まんなか先年ものがたり」。2017年から運行を開始した四国2つ目の観光専門列車で、全車グリーン車扱いの特急。「伊予灘ものがたり」と同じく、車内での食事と沿線風景を楽しむことを目的とした観光列車で、土讃線多度津〜大歩危を往復している


キハ185系3100番台。余剰になったキハ185系を普通列車格下げした車両で、リクライニングシートは固定化されている。一部は再度特急列車運用に戻されたので、現在は7両のみの存在。元々トイレなしの車両からの改造だったので、トイレはない。予讃線/内子線の松山〜宇和島で運用されている。


JR九州のキハ185系「ゆふ」用車両。前面の車体下部に補助前照灯が増設されているが、車内は大幅な改造を受けていないらしい。乗ってないのでどうもわからない。


JR九州のキハ185系「九州横断特急」用車両。車内をリニューアルしており、床や荷物棚、肘掛などに木材を使用している。


JR九州のキハ185系「A列車で行こう」。専用に改造されており、車内には車販カウンターもある。

この他に、JR四国では、臨時団体列車用の「アイランドエクスプレス四国II」に改造された車両も存在する。


東日本に比べると車種が多彩な西日本。四国でのキハ40系こそ減少していますけど、西日本と九州では当面安泰と言える数が残っており、そろそろ置き換えがされそうなのはキハ66系あたりでしょうか。少数派形式がほとんど消えてしまって、大量製造の形式が残っているので、まだまだ国鉄型気動車を見なくなるのは先のことに思える西日本地域です。


2017年版
今も残る現役国鉄型電車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型電車 西日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 西日本編 2017年版
現役のSLはどれだけいるのか? 2017年版

2012年版
今も残る現役国鉄形客車
今も残る現役国鉄特急形電車・気動車
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 西日本編
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 東日本編
今も残る現役国鉄近郊形・急行形電車
今も残る現役国鉄通勤形電車
現役のSLはどれだけいるのか?

今も残る現役国鉄型電気機関車・ディーゼル機関車・客車 2017年版

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今も残る現役国鉄型シリーズ2017年版、最終回は電気機関車、ディーゼル機関車、客車です。

国鉄時代、まず列車とは蒸気機関車が牽引する客車でした。そして徐々に電車、気動車が一般的となり、客車を牽引するのも電気機関車、ディーゼル機関車となり、客車は一部の寝台特急や臨時列車用の物が残るだけとなりました。その寝台特急も国鉄時代の物はこの5年間で消え失せ、残った客車は臨時列車用の物だけになりました。
一方、電気機関車、ディーゼル機関車も客車が無くなったことや、老朽化による世代交代で随分と数を減らし、JR貨物がHD300形、DD200形が導入されたことで、最後まで置きかえの遅かったDE10形も今後は姿を消していくでしょう。
特に機関車関係は追いかけ切れていないので、写真が不足勝ちですが紹介していきたいと思います。

EF60形
EF60形は1960年に登場した平坦線向け直流電気機関車。ED60形、ED61形の新性能電気機関車の製造を踏まえ、F級電気機関車として設計された物。1960〜64年に合計143両が製造されたが、現存しているのはJR東日本のEF60 19のみ。この他、3両がEF67形に改造されたが、これらの3両もうち2両は廃車されている。


JR東日本のEF60 19。この写真はけっこう前の物のため前照灯が現在の姿と異なる。現在は2灯シールドビームではなく、1灯の白熱灯になっている。主に高崎近辺の臨時列車牽引や、工臨などの運用に着く。


EF65形
EF65形は1965年に登場した平坦線向け直流電気機関車。国鉄電気機関車で最大の308両が製造された。EF60形をベースに再設計された0番台、高速列車牽引用に改良を加えた500番台は旅客用P形と貨物用F形、両方に対応してさらに改良を加えた1000番台PF形が登場した。経年により廃車が進み、JR貨物ではEF210形への置きかえにより大幅に数を減らし、寝台特急の廃止によりJR東日本、JR西日本でも車両数を減らし、JR東海では消滅。旅客用は臨時列車や工臨の運転が主体となっている。


JR東日本のEF65 501。現存する唯一の現役EF65形500番台。主に高崎地域の臨時列車や工臨牽引で使用される。


JR西日本のEF65 1133。主に臨時列車の牽引や工臨に使用される。「SL北びわこ」の回送用で12系客車を牽引していることもあり、国鉄然とした姿を見られる


JR貨物のEF65形2000番台。赤いプレートはコキ50000形改造の100km/h運転対応の常用減圧促進改造を行っている車両であることを示す。


JR貨物のEF65形2000番台。JR貨物の2色塗装となった姿。青いプレートは常用減圧促進改造を行っていない車両。


広島更新色のEF65形2000番台。2000番台は1000番台へ運転状況記録装置を取り付けた車両である。


EF66形
1966年に試作車EF90形が登場後、1968年から製造された国鉄最強の直流電気機関車。国鉄時代に55両が製造された。貨物および旅客列車の牽引用に活躍し、東海道・山陽本線系統の寝台特急牽引に活躍した。しかし、寝台特急の廃止に伴い、JR西日本のEF66形は運用を失い廃車またはJR貨物へ売却。現在はJR貨物でわずかな車両が残るのみ。また、JR化後に設計を見直した100番台がJR貨物によって33両製造され、主に東海道・山陽の高速貨物で運用されている。



EF66形の0番台。JR貨物では更新工事に伴って、前面下部の飾りステンレス帯、ナンバープレートの特急シンボルを取り外した車両が多い。現在稼働しているのは、27号機(原型維持)と30号機の2両だけらしい。写真はすでに廃車された26号機(上)と33号機(下)


EF66形100番台。JR化後の1989年から製造されたEF66形。性能上はおおむねEF66形の最終増備車をベースにしているが、車体デザインが大幅に変更され、すっきりした感じになった。


EF64形
1964年に製造開始された勾配路線用直流電気機関車。0番台79両が製造されたほか、大幅に設計を見直した1000番台53両が1980年から製造された。1000番台は最後に製造された国鉄電気機関車で、本来なら別系式を名乗ってもよいくらいの設計見直しが行われているが、国鉄労使関係で別系式を名乗らず既存系式の改良車という扱いになったと言う。上越線、中央本線、伯備線系統へ投入されたが、近年JR貨物でのEH200形への置きかえが進み、JR貨物では0番台が消滅。主な運用路線は中央西線、伯備線となっている。


JR東日本のEF64 37。現存する唯一の0番台で、茶色塗装されている。臨時列車や配給輸送で使用される。


JR東日本のEF64 1001。茶色塗装されている1000番台で、主に高崎線/上越線/信越本線系統の臨時列車や配給輸送で使用される。


JR貨物のEF64形1000番台。国鉄色を保っている車両は少なく、ほとんどは更新塗装になっている


JR貨物のEF64形1000番台更新色。大宮車両所で更新された車両の塗装で、現在のEF64形1000番台で多数派となっている。


JR貨物のEF64形1000番台更新色。広島車両所で更新された車両の塗装で少数派。


EF67形
山陽本線瀬野〜八本松、通称セノハチにある連続した22.6‰において、上り貨物列車の後方補機として運用するために、EF60形とEF65形0番台から転用改造された車両。EF67形0番台は3両(元はEF60形)、EF67形100番台は5両(元はEF65形)製造された。EF200形300番台の製造に伴い、運用が置き換えられて廃車進行しており、すでに0番台は2両が廃車され1両が保留車。100番台は2両が廃車されている。


保留車となっているEF67 1。元はEF60 104。両端で正面扉の有無に差異がある。


EF67 101。現在稼働状態にあるEF67形はEF67 101、102、105の模様だが、EF200形3000番台への置きかえが予定されており、遠からず姿を消す物と見られる。


ED75形
1963年から製造された交流電気機関車。主に東北向けに製造されたが、一部は九州でも運用された。合計308両が製造された交流電気機関車の標準形式と言える車両。また、700番台の一部はED79形に改造され、青函トンネルでも運用されたが、すでにED79形も含めて大半の車両が廃車された。現在はJR東日本で臨時列車および工臨、配給輸送向けに使用されているのみ。


JR東日本のED75 757。仙台に所属している。東北本線では以前は当たり前のように貨物列車で見られた系式だが、現在は見られる機会は限られている。


ED76形
1965年から製造された交流電気機関車。ED72形、ED73形の置きかえ用に九州向けに投入された。九州用、北海道用で合計139両が製造されたが、北海道用の500番台はすでに全廃。九州用の0番台、1000番台も、九州内旅客列車での運用が無くなり、JR貨物が運用する車両がわずかに残るのみとなっている。


ED76形0番台。現存する0番台の稼働車は写真の81号機と83号機のみで、元々はJR九州の旅客用だった車両を、JR貨物が購入した物である


ED76形1000番台。1000番台は高速列車牽引用にED76形のマイナーチェンジを行った車両。


EF81形
1968年から製造された3電源対応の交直流電気機関車。EF65形を交直流に設計し直した車両で、汎用性の高さからJR東日本、JR西日本、JR九州、JR貨物に車両が引き継がれたが、すでにJR九州の車両は全廃されている。0番台の他、関門トンネル用300番台、重連対応の400番台の他、JR化後もJR貨物によって500番台、450番台が製造された。主に東北から日本海側で関西まで、山陽から九州にかけて貨物では運用されているが、日本海側ではEF510形の増備によってだいぶ姿を消した。一方で、JR東日本では配給輸送や工臨、臨時「カシオペア紀行」の運用でもまだまだ健在。JR西日本ではトワイライトエクスプレス塗装の車両がわずかに残っている。


JR東日本のEF81 151。0番台の再末期製造の車両で、写真は長岡所属の151号機。


JR貨物のEF81形300番台。元々関門トンネル用に製造された300番台は車体がステンレス外板となっているが、写真の様に赤く塗装されたものも多かった。写真の301号機はすでに廃車済みで、現在は303号機が残るのみとなっている


JR貨物のEF81形600番台。元々0番台であった車両に更新工事を施して元番号に600を足した物。写真の746号機は、元は146号機だったことになる。なお、146号機は元々JR東日本の車両だったものが、JR貨物に売却されたもの


JR貨物のEF81形400番台。関門トンネル向けの車両で、九州内でも運用されている。写真は鹿児島中央駅で撮影した物。


JR貨物のEF81形500番台。JR化後に製造された車両で、塗装がJR貨物塗装になっているが、外観はほぼ0番台を踏襲している。


JR貨物のEF81形450番台。400番台の増備車としてJR化後に登場した車両で、写真の454号機は500番台とほぼ同じだが、451、452だけ前照灯の位置が異なる。


DD51形
1962年から製造された本線用ディーゼル機関車。安定した性能で、非電化区間の蒸気機関車の置きかえとして649両が製造された。貨物列車では、北海道や関西本線で重連を組むことも多く、その均整の取れたスタイルから人気も高いが車両だったが、北海道ではDF200形への置きかえが進んで姿を見られなくなった。また、寝台列車の廃止により、JR北海道からも姿を消し、現在は関西本線の貨物列車と、JR東日本およびJR西日本で臨時列車牽引や配給輸送等に用いられるのみである。


JR東日本のDD51 897。高崎に残る4両のDD51形で唯一お召し仕様になっていない車両。写真は、高崎車両センターの公開イベントで、点検扉を開放した状態である。


JR西日本のDD51 1193。写真は関西本線用キハ120形を配給輸送しているところ。


JR貨物のDD51 825。関西本線向けの更新車で、今後全般検査を行わず廃車される予定。後継としてDF200形が投入される予定である。


DE10形
DD51形の実績を元に1エンジン化して、車体長を短縮。1966年から合計708両が製造された。汎用性の高さから、JR7社全てに唯一継承された車両でもある。ローカル線での貨物輸送、臨時列車運行、工臨や配給輸送など、様々な用途へ投入されていたが、JR東海からはすでに姿を消しており、JR貨物でもHD300形、DD200形の投入で今後姿を消していくことになる。一方、旅客会社側では塗装変更されたものもあり、しばらくは姿を見られる物もあるだろう。




JR北海道のDE10形。標準的な赤色白帯塗装から、黒色白帯塗装となった物もいる。ノロッコ塗装は緑色系である。


JR東日本のDE10形。非電化路線での配給輸送や工臨などに用いられているが、臨時列車を牽引することもある


JR九州のDE10形。元々は標準塗装であったが、「ななつぼし」の運行開始に伴い、一部区間での牽引を担当することから在籍する車掌はみなこの塗装になっている


JR貨物のDE10形。更新塗装となっているものが多く、一部は入れ替え専用に別の塗装となっているものもあった。


JR貨物のDE10形3500番台。DE15形からの改造編入車で、JR東日本で余剰となったDE15形を購入し、ラッセルヘッドの装着装備などを撤去している。


真岡鐵道のDE10形。主に「SLもおか」を真岡駅〜下館駅で回送牽引するのに使用されている。


わたらせ渓谷鉄道のDE10形。「トロッコわたらせ渓谷号」の牽引機で、塗装が変更されている。なお、もう1両いるDE10形は国鉄色のままである


嵯峨野観光鉄道用のDE10形。トロッコ列車牽引用の車両は2機あり、1104が嵯峨野観光鉄道所属。写真の1156はJR西日本所属の予備機である


東武鉄道のDE10形。「SL大樹」の運行時の補助機関車としてJR東日本から購入した車両で、C11 207の故障時は写真の様に代わりに先頭に立つ姿が見られる。この時は、「DL大樹」として運行される。


衣浦臨海鉄道のKE65形。DE10形の譲渡車で、写真の5号機はDE10形573号機を国鉄清算事業団から購入したもの


DE11形
1967年から、DE10形をベースに重入換専用機関車として製造されたのがDE11形。入れ替え専用で本線での客車牽引は想定されていない。主に貨物駅での貨車入れ替えや、車両基地での構内車両移動に用いられているが、経年による廃車が進み、わずか5両が残るのみとなっている。


JR東日本のDE11 1041。現存する唯一の1000番台で、高崎所属。


JR貨物のDE11 2003。更新塗装になっている。相模貨物駅で主に使用されている


DE15形
1967年から、DE10形をベースに製造された除雪用機関車。軸重制限の厳しいローカル線でも走行できるように設計されており、ラッセルヘッドを取り外せば、冬期以外は普通のDE10形と同様に運用できるようになっている。近年は老朽化と積雪量の減少から廃車が進行している。北海道と西日本ではジョイフルトレイン向けに塗装変更された車両も存在している。


JR北海道のDE15形。北海道では除雪車の主力形式である。


JR西日本のDE15形。山陰本線の除雪車であるが、近年は降雪の減少により、活躍の機会は少ない


ラッセルヘッド取り付け装置を撤去したJR北海道のDE15 1520。もっぱら、臨時SL列車の補機として使われている


「奥出雲おろち」用DE15 2558。専用塗装となっているが、ラッセルヘッドは残っているので、冬期はラッセル運転も行う


以上が機関車の紹介でしたが、だいぶ数は減ってきた物の、種類は意外と残っている感じ。
ただ、これからJR貨物ではどんどん姿を消していくので、残るのは運用が少ない旅客会社の車両だけになってくだろう。

ここからは客車の紹介だが、客車も廃車が大幅に進行。特に、この5年間で客車寝台特急が消え失せたのが非常に大きい。
旧型客車はオハ35形、スハフ42形、オハ47形等複数系統が残っている物の、基本的に混結されているので、まとめて紹介する。
なお、24系も保留車が一部残っているのだが、保留車状態での写真を撮れていないので、省かせて頂lく。


旧型客車
10系以前の戦後に製造された旧型客車は、がっちりとした構造で、ほとんどが茶色に塗られている。これはSL牽引でのすすによる汚れ対策であったが、青色の車両も存在した。
現在は、JR東日本、大井川鐵道、津軽鉄道に残っている。津軽鉄道では、「ストーブ列車」として冬期の観光用に用いられている。
JR東日本では旧型客車を使った臨時列車には「レトロ」の文字列が付けられている琴が多い。大井川鐵道では、近年「トーマス」の牽引客車として黄土色に塗られた車両も登場している。


JR東日本の旧型客車。オハ47形3両、スハフ32形1両、スハフ42形2両、オハニ36形1両が高崎車両センターに所属しており、そのうちの何両かを組み合わせて臨時列車に用いられている




大井川鐵道の旧型客車。オハ47形4両、オハ35形5両、オハフ33形2両、スハフ42形4両、スハフ43形2両が在籍。一番下の黄土色は「トーマス号」用の客車


津軽鉄道の旧型客車。オハフ33形1両、オハ46形2両が所属し、冬の風物詩となっている「ストーブ列車」で使用される。

この他にJR北海道にスハシ44 1があるのだが、実質14系の一部として運用されているので省略する。


12系
1969年から製造された急行形客車。冷房の搭載や自動ドアの装備により、客車の近代化を行った。大阪万博の輸送に向けた大量投入により603両が投入され、元々波動輸送用に製造されたこともあり、老朽化もそこまで進行していないのか、現在でも比較的多くの車両が残っている。
譲渡された車両や改造された車両も多く、原型のままという車両はあまりない。


JR東日本の12系。主に「SLみなかみ」などのSL列車の客車に使用されている。


JR西日本の12系。主に「SL北びわこ」に使用されている。


わたらせ渓谷鐵道の12系客車。「トロッコわたらせ渓谷号」の控え車として、4両の客車の両端に位置している。なお、中間車2両は京王5000系の車体を流用した物で、12系ではない。


秩父鉄道の12系客車。「SLパレオエクスプレス」用の客車で、塗装の変更のほか、車内もリニューアル工事を受けている。



JR東日本の「SLばんえつ物語号」用の12系客車。内装をレトロ調にリニューアルしてあるが、特徴的なのは両端の展望先頭車と、中間展望車。新潟寄りの先頭車はグリーン車になっている。



JR西日本の「SLやまぐち号」用12系レトロ調客車。2017年に後継車として35系客車が登場しており、現在は下関で留置されている。今後廃車される物と思われる。


JR西日本の「奥出雲おろち」用12系。トロッコ客車となっており、宍道側の客車には、後方のDE15形を操作する運転台が取り付けられているという珍しい改造車。


14系
1971年から製造された特急列車向け客車。12系をベースに開発されたが、座席車と寝台車の両方が製造された。ただし、寝台車はすでに全滅している。
現在は定期運用を持つ車両はなく、臨時列車向けとなっている。一方で、この5年間でJRから私鉄譲渡が2つ発生したことは特筆される。


JR北海道の14系。「SL冬の湿原号」向けの14系で、1両だけスハシ44 1の旧型客車が含まれる。写真はかつての「SLクリスマスファンタジー号」での運用時の物。


JR西日本の14系「サロンカーなにわ」。JR西日本では人気の客車で、お召し列車として走ることもある。


急行「はまなす」時代の14系。この車両の一部が大井川鐵道に譲渡されたが、大井川鐵道では整備の遅れ等により、まだ運用に入っていない。また、東武鉄道にも4両譲渡されているが、こちらも運用されていないことから、部品扱いかもしれない。


東武鉄道「SL大樹」用14系客車。JR四国がJR東海から購入した物の、ムーンライト系列の廃止でほぼ未使用のままだった14系4両を購入したもの。通常は、そのうち3両を使用し、1両は下今市で留置されている。



50系
1977年から製造された一般形客車。主に地方線区で客車列車として運行されていた列車で、旧型客車の置き換え用に投入された。しかし、投入時点ですでに電車化、気動車化がそれなりに進行していたため、ほんの数年で余剰気味になり、JR化後は電車、気動車への置きかえが進んだ。このため、より車齢が高いが設備に勝る12系、14系が残され、新しい50系は次々と消えていくという皮肉な状態になった。現在残っている車両は、改造車か譲渡車で、いずれも臨時列車用となっている。


JR北海道の「くしろ湿原ノロッコ号」用の50系。トロッコ改造車4両、一般車1両の編成で、トロッコの先頭車にはDE15形の遠隔操作ができる運転台がある。


JR北海道の「富良野・美瑛ノロッコ号」用の50系。一部、貨車改造のナハ29000形も含まれる。機関車と反対側の先頭車は、DE15形の遠隔操作ができる運転台がある。


JR九州の50系700番台。「SL人吉」用の客車で、両端に展望室を持ち、車内は木材多用のボックスシートになっている。


JR東日本のキハ141系。車両としては気動車だが、50系客車を改造して気動車化したものであり、もっぱら「SL銀河」の客車として運用されているのでここに含めた(キハ141系でも紹介しているけど)


真岡鐵道の50系。「SLもおか」用の客車で、塗装こそ変更されているが車内はほぼオリジナルに近い


おまけ コトラ152462

国鉄時代にトラ45000形貨車を改造してトロッコ列車「清流しまんと」に投入された車両。その後のトロッコ列車の元祖となった車両である。現在では貴重な二軸貨車なので、とにかくよく揺れる。
2013年に水戸岡デザインへ改造され、車内のリニューアル、外装のリニューアルが行われた。ただ、外装の木材は剥離が目立ってきている。牽引機は専用塗装のキハ54形。


おまけ カヤ27 501

E26系「カシオペア」の電源車に不具合が生じた場合の予備車両としてカニ24 510から改造されたもの。この車両を使用すると、カハフE26-1のラウンジカーが連結されないことになる。


おまけ キ100形

1928年から製造された国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車。蒸気機関車で後押ししながら除雪を行うという車両。JRには残っておらず、写真は弘南鉄道に譲渡された物。


2017年版
今も残る現役国鉄型電車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 東日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型電車 西日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型気動車 西日本編 2017年版
今も残る現役国鉄型電気機関車・ディーゼル機関車・客車 2017年版
現役のSLはどれだけいるのか? 2017年版

2012年版
今も残る現役国鉄形客車
今も残る現役国鉄特急形電車・気動車
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 西日本編
今も残る現役国鉄一般形・通勤形・急行形気動車 東日本編
今も残る現役国鉄近郊形・急行形電車
今も残る現役国鉄通勤形電車
現役のSLはどれだけいるのか?

10/7-9 広島・山口撮影旅行 その1「芸備線で三次へ」

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やたらと時間ばかりかかっちゃった現役国鉄車両シリーズも終わりまして、また旅行記の再開です。

10/7-9の3連休で広島、山口へ行ってきました。目的は列車の写真撮影。
最初は主に10/8をメインとして、10/7、10/9はその日次第くらいに考えていましたんで、早めに新幹線と宿だけ取って、1週間程度前の時点で10/7に三江線の一部区間を乗車することにしました。
まず新幹線の「のぞみ99号」で広島へ。広島で芸備線に乗り換えます。三次行きの列車がしばらく無かったので、途中の志和口止まりになんとなく乗りました。


新幹線から見下ろすマツダスタジアムとEF67形、EF210形300番台




広島駅は出入り口が変更となり、駅ビル1階にあった改札は閉鎖され、新しい通路ができていた


この時点ではクライマックスシリーズ前。広島の街が優勝の歓喜と日本一への期待にあふれているころでした



広島駅の土産物店はかなりカープものが多いです


芸備線ホームへ移動


キハ47形の2両編成で志和口まで向かいます



車体は延命工事済みですが、車内は国鉄車の状態を保っています


志和口駅に到着。これまで通過したことはあっても、降りたことは無かった駅です


ホームから見た志和口駅の駅舎


志和口駅の駅名標




有人駅(業務委託駅)ですが、非常に細切れな営業時間になっていました。おそらく、委託した方の労働時間をぎりぎり調整するためなんでしょうね


待合室に貼ってあった物を見て、うん?


待合をでるとこんなものが


なんと、1週間後に猫駅長「りょうま」の5周年記念式典が予定されていました。この駅の猫駅長の存在自体知りませんでしたので、たまたま降りて驚きました(JR西日本非公認の駅長のためか、式典場所は駅では無く公民館だった)


志和口駅の駅舎。駅前は小さな商店と自販機がある程度


三次行きの列車を待つ間に、駅の事務室から「りょうま」駅長が出てこられました



しゃんとしていて、とてもおとなしい駅長さんでした




列車が来るころなので、ホームへ。列車本数が少ないためか、踏切の警報器などはありません


後続の三次行きに乗車します

三次駅ではしばらく待ち時間が合ったので、乗車する三江線の口羽行きを待つ間に駅の外に昼食をとりました。
駅前のお好み焼き屋が混んでいたので、少し歩いたところのCOCOSで食べてきました。


三次駅に到着


駅ホームにあった絵


跨線橋の絵は色あせている


中線にいたキハ47形。以前の芸備線は広島色だったのだが、すでに広島色は消え失せて国鉄首都圏色しか見なくなった。キハ40系にはこの塗装が似合うとは言え、ちょっと寂しくもある


駅前バスターミナルにあったモニュメントなど


三次駅の駅舎。位置を移動して数年前に建て替えられている


駅の横にある建物にお好み焼き屋が入っていたのだが、混雑で断念


三江線の存続運動はいまいち盛り上がらなかった。元々人口希薄地帯に作った路線だけに、いずれこうなるのは13年前に初めて乗車したときから、予想していたことではあるけど







広島北部では中心の街と言うこともあって、路線バスや、コミュニティバス、高速バスをちょくちょく見かける


駅に戻って、三江線の発着ホームである2、3番線へ移動する。昔は、1番線の奥の切り欠きホームで発着していたが


1番線に停車中の芸備線広島行き。芸備線は新見〜広島を結ぶ路線だが、新見〜備後落合、備後落合〜三次はキハ120形が1両で1日数本運転するだけの超閑散区間。一方で三次〜広島は1時間1本程度キハ47形2連等で運行され、広島に近いほど区間運転も増える



留置線にいた三江線用キハ120形300番台ラッピング車。なお、三江線は浜田鉄道部の車両を使用する


奥にいるのが、一般色の浜田鉄道部の車両



こちらは広島運転所所属のキハ120形300番台。主に、福塩線の府中〜三次、芸備線の三次〜備後落合で使用されるが、広島〜三次の運用もある。余談だが、キハ47形は広島運転所では無く下関総合車両所新山口支所所属の車両とのこと


三江線の各駅には地元の神楽の写真が掲示されている


広島からの列車が到着したが、これは乗る列車ではない



先ほどの奥にいたキハ120形300番台浜田色が口羽行きとして入線してきた

この後は口羽までを往復します。以下、次回。

10/7-9 広島・山口撮影旅行 その2「三次〜口羽を往復して広島へ戻る」

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10/7〜9に行ってきた広島・山口旅行の続きです。

10/7の朝に新幹線で新横浜を出て、広島到着後に芸備線で志和口に寄りつつ、三次までやってきました。三次からは口羽まで三江線で往復します。
3/31での廃止を予定している三江線は、広島県の三次と島根県の江津を結ぶローカル線です。ほぼ全線に渡って江の川の流れに沿って走ります。この江の川や、山に囲まれた地形から、過去何度も災害不通となっており、2006年の災害では1年近く止まっていたこともありました。
そんな三江線はキハ120形が1両で1日4〜6本の列車が走るだけの超赤字路線。とは言え、廃止が近づくと「葬式鉄」が大挙するのはいつものことなので、今回は比較的空いている区間便で早めのさよなら乗車することとしました。




キハ120形300番台の車内に入る。この時点ではあまり人もおらず空いているので、人のいない状態での撮影ができた。ただ、この後団体客が乗ってきた



キハ120形300番台の運転台付近。ワンマン運転用で、半室運転室の料金箱付き、折りたたみ式のバス用扉など、第三セクターの軽快気動車並に簡素な作りなのがキハ120形だ。昔はトイレも無かったが、現在はトイレが付けられている


そろそろ発車する





江の川の流れに沿う景色は良く、三江線は美しい川の景色を眺められる路線である


団体客のおかげでこの通り、座席が埋まる程度の混雑。夏場の貫通列車は記念乗車で埋まることもあったが、秋の区間列車でこれだけ埋まるのは、すでに廃線ブームが来ていたからだろう



景色を見ながら、列車は進む


やがて途中駅の作木口で団体客が下車。やや小ぶりな観光バスが対岸に迎えに来ていた




作木口を通り過ぎ、終点の口羽へ向かう


口羽に到着。折り返しまでは8分間


駅前の倉庫のようなところに横断幕が


ホームにある神楽の看板


駅の端から見る。4両程度は止まれそうなホームに、短い車体のディーゼルカーが1両だけ。国鉄時代に作られた地方ローカル線らしい姿ではあるが



駅の待合室。しっかりした作りだ


どう見ても新しく作ったトイレ。廃線間際の駅前に新しい物が作られるとは・・・廃線発表前に作り始めていたのかも知れないが



ホームに至るまで踏切はあるが警報器はない。必要ないと言えばそのとおりだが











同じ行程で三次へ戻る。行きと逆方向に風景を見ていくので、これはこれで面白い。団体客が降りて空いていたし



三次駅に到着。さよなら三江線。乗ったのはこれで3度目(1度目と2度目は全線乗車)でした。廃止直前の混雑は嫌いなので、これが最後の乗車です



こちらは府中行きの福塩線。これに乗って福山に行ってから広島に行くことも最初は考えていたのだけど、食事を取る時間があまりなくなりそうなので止めといた


広島行きの芸備線はキハ120形の2連でした。ほとんどがキハ47形2連の中では、数少ない運用です



途中駅にて、交換列車待ちの間に


なぜか、府中と備後落合からの料金が表示されていました


広島に到着



ホームには115系と227系の姿。ああ、都会だな





広島駅前は多彩な広島電鉄の路面電車の姿が。宿に荷物を置いてから、夕食を取るついでに乗り回すことにしました


銀山町で下車して、繁華街へ


なんとなく入ったお好み焼き店。空いていたんですが、味がイマイチだった


電停1つ分歩いて胡町から広島港行きに乗ってみる。5100形「Green mover max」のカープ電車でした









これでもかってくらいにカープな電車。車内放送もカープの選手の声が流れるし、これが市民に愛される市民球団の姿ですね



夜の広島港に到着。この列車はこのままここで留置でした


こちらも回送の1000形「GREEN MOVER LEX」


さらにサンフレッチェ広島電車も来ましたが、これもここ止まり


仕方ないので、5系統で広島へ戻りました


これで初日を終了。翌日は山口県へ向かいます。


















あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
年賀状画像は、犬を模した2つのケーブルカー、ラクテンチケーブルと近鉄生駒鋼索線です。
まん中のは、京都鉄道博物館のキハ80系ですね。

10/7-9 広島・山口撮影旅行 その3「朝に広島を出て山口線へ」

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10/7〜9に行ってきた広島・山口旅行の続きです。

10/8の朝になりまして、広島駅からスタート。この日は撮り鉄の予定を決めていたので、まず新山口へ向かいます。
今回は、鉄道の日(10/14)に合わせて発売する「秋の乗り放題パス」を利用していましたが、広島から新山口を予定の列車へ間に合わせようとすると、早朝の始発でぎりぎりな感じでしたので、何かあって遅れては元も子もないということから、朝の移動だけ山陽新幹線「こだま」を利用しました。
ちょうどいい時刻に、500系の運用があったので、その列車に乗車。閑散期で4号車も自由席でしたので、2列+2列改造された4号車でゆったり新山口へ向かいました。


朝の広島駅


新幹線ホームにて。広島止まりの700系7000番台「こだま721号」


N700系の「のぞみ116号」が発車して行く


乗車するのは「こだま723号」である


こちらはN700系7000番台「みずほ601号」



乗車する500系「こだま723号」がやってきた



4号車車内。最後に500系に乗ったのは、まだ東海道の「のぞみ」運用があったころで、実に7年ぶりの乗車だった



他の自由席車は2+3列シート。500系V編成は、元々6号車だけが2+2列シートの指定席だったが、4、5号車も指定席にすることがあるため、後年2+2列に改造された。今回のように4号車は自由席で運用することも多いので、狙い目の車両である





テーブルや肘掛け、側面の柱などは、700系、N700系に乗り慣れた身としては独特に映る


新山口で下車。在来線ホームへ向かう


この日の最初の目的は「SLやまぐち号」。新しい35系客車になった姿を撮影することが目的でした。
撮影地として選んだのは、かつての給水塔が残る駅として知られる篠目駅です。


ちょうどこの時、山口デスティネーションキャンペーンの最中でした


乗り換え中にコンコースで見た工芸品


在来線ホーム1番線にあったベンチ


ゴミ箱もレトロ調にしている



壁には「SLやまぐち号」の紹介が


今でこそ「新山口」だがかつては「小郡」だった。むしろ、新山口になってからまだ14年でしかない


ホーム端に置かれている動輪


キハ187系が車庫から2番線へ移動中。直接2番線には入れない構造のようだ




2番線に入ったキハ187系「スーパーおき」。けっこう混雑していた


乗車する山口行きのキハ40形が入線




益田側の1両は、レノファ山口FCのラッピング列車だった


山陽本線のホームに止まっていたのは2扉車の115系3500番台


奥にはおそらく115系2000番台


山口駅で一旦乗り換え。跨線橋から乗ってきた2連と、乗り換えの1両を撮影


途中駅で行き違い待ち


上りのキハ187系「スーパーおき」


篠目駅に到着。写真左側にあるのが、給水塔



篠目駅で時間調整が有り、発車までだいぶ間があった。なので、ホーム端まで行ってみる。10両は止まれるんじゃないかという長さのホームで、「SLやまぐち号」(通常6両)も停車する


重連停止位置のマーク。以前はC57形+C56形だったが、C57形+D51形になって長さも変わったはず。標識がきれいだし変更後の位置かもしれない



乗車してきたキハ40形が走り去る


ホームにある駅名標


こちらが、給水塔。現在は利用されていない


ホームから出て駅舎へ




篠目駅駅舎と時刻表。無人駅であるが、駅前の商店できっぷの委託販売を行っている



駅前にはコスモスが咲いていた


この後は、駅の益田側へ移動して「SLやまぐち号」を撮影します。以下、次回。




10/7-9 広島・山口撮影旅行 その4「SLやまぐち号を撮る」

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10/7〜9に行ってきた広島・山口旅行の続きです。

10/8の朝に広島を新幹線で出て、新山口から山口線の普通列車を乗り継いで篠目駅へやってきました。
篠目駅の駅舎を出たら右へ曲がって進み、踏切を越えたあたりを撮影地とします。先に自動車で来られていた方が1名いましたが、列車の到着まで2時間程度あったこともあり、しばらくはたまに来るキハ40系を撮影するだけののんびりした時間でした。なお、列車の来る前にはもう2,3名撮影者がやってきました。
目的の「SLやまぐち号」は列車が遅れていました。




駅から歩いて5分ほどの踏切。ここの近くで撮影する。踏切から線路沿いにも道があるが、ここでは車体に近すぎて見上げる形になるので、撮影者はみんな避けた






「サイクル県やまぐちProject」のラッピング車キハ40形がやってきた





続いてやってきたのは、新山口〜山口の区間運用だったキハ40形。こちらでもう1階遭遇するとは思わなかった





益田側から臨時列車のキハ47形がやってきた。この列車は篠目駅で「SLやまぐち号」との行き違いになる



やっと姿を見せた「SLやまぐち号」



先に到着していたキハ47形よりも先に発車する





篠目駅を発車する「SLやまぐち号」




うん、全体がレトロに収まった編成はやっぱりかっこいいですね。







新たに作られたレトロ調客車35系の後方展望台には多くの人が詰め寄っていた


撮影も終わったので篠目駅に戻る



篠目駅の向側に古い商店が1つ。こちらが乗車券の委託販売をしていた



常備県を利用した乗車券。今時なかなか手に入らないので、記念に購入


駅にあったイラスト。毎月張り替えているんでしょうかね



こちらは益田方面への列車。新山口へ戻るので乗車せず


新山口方面へ戻る列車がやってきた


山口駅で乗り換え


乗り換え列車は先ほど撮影した「サイクル県やまぐちProject」のラッピング車だった


この後は新山口まで戻って、西へ向かいます。以下、次回。

10/7-9 広島・山口撮影旅行 その5「トワイライトエクスプレス瑞風を撮る」

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10/7〜9に行ってきた広島・山口旅行の続きです。

10/8の朝に広島を出て、新山口から山口線に入り、山口線の篠目駅近くで「SLやまぐち号」を撮影しました。同じく撮影していた他の方々は、「SLやまぐち号」を追いかけて折り返しの上り列車を撮影するようでしたが、私は新山口へと戻りました。
ここから次に向かうのは、下関です。

この日の撮影対象は2つでした。1つ目は「SLやまぐち号」。2つ目は山陰本線を通って、この日大阪から下関に到着する「トワイライトエクスプレス瑞風」でした。
篠目駅での撮影後、普通列車を乗り継いで、終点の下関の1つ手前で山陽本線と山陰本線が合流する幡生駅なら、ちょうど「トワイライトエクスプレス瑞風」を撮影できるという計算でした。さらに、幡生駅で撮影後に下関駅へ追いかけて撮影することもできるダイヤでした。



幡生駅到着直前に、下関総合車両所にいる「SLやまぐち号」のかつての客車だった、12系レトロ客車の姿が見えました


乗ってきた115系


反対側には山陰本線に入るキハ47形の姿が見えました


幡生に先に着いていたのに115系を先に行かせた山陰本線からのキハ40形

事前にホームの配線は調べて置いたので、「トワイライトエクスプレス瑞風」は山陰本線の下り線ホームを通過していくことがわかっていました。
このため、上り線側のホームへ移動し、到着を待ちました。



EF210形牽引の高速貨物。この後、関門トンネル前でEH500形と入れ替わるんでしょうね


さあ、やってきました。「トワイライトエクスプレス瑞風」です



ゆっくりと幡生駅に進入する「トワイライトエクスプレス瑞風」。実際、信号の関係上で止まる必要もあったようで、しばらくの間幡生駅ホームで止まりました





幡生駅で停車。しばらく発車するまで時間があったので、じっくり撮影します












87系気動車「トワイライトエクスプレス瑞風」。システム的にはハイブリッド車で、ディーゼル発電機と蓄電池による電力で走行する。ちょうど、JR東日本のキハE200形と同じ考え方である





終着の下関へ向かう「トワイライトエクスプレス瑞風」




後続の115系普通列車で下関へ移動します


下関に到着後、車庫入れするまでの間の「トワイライトエクスプレス瑞風」をじっくり見ました。
ちなみに、「トワイライトエクスプレス瑞風」は他には無い形式を与えられていて、両端の先頭車がキイテ87形、寝台車がキサイネ86形、食堂車がキシ86形、ラウンジカーがキラ86形となっています。
ラウンジカーをラと表記するのは、他では例が無いですね。というか、キラって書かれると、どうしてもデスノートが思い出されちゃうんですが・・・


下関に到着していた「トワイライトエクスプレス瑞風」を撮影する





特徴的な先頭形状は、展望車で有り、わずかな空間であるがデッキに出られるようになっている





すでに車内の片付けが始まり、扉部分は進入防止装置が取られていた






下関側の先頭車も、大阪/京都側の先頭車と同じ形状。運転席は、ロマンスカーVSEやLSEのように上に配置されている









発車するまでの間に、じっくり見て回った


やがて発車時間になると、そのまま門司側の車庫へ入っていった。後方展望デッキではスタッフが手を振っていた


こちらは105系の3連。少し休憩するため、この列車には乗らず



後続の115系3500番台の2連で戻りの行程に入る



この車両は元は117系でした



新山口駅を通り過ぎ、午前中に撮影していた気動車群を見る


岩国で乗り換え


広島に戻ると、今や希少になった広島色の115系がいた


濃黄色とセットで

これでこの日の撮影は終了。宿に戻る途中のお好み焼き屋で夕食を取りました。





お好み焼きと牡蠣焼き

次回は、10/9の話に入ります。




10/7-9 広島・山口撮影旅行 その6「呉のてつのくじら館へ」

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10/7〜9に行ってきた広島・山口旅行の最終回です。

10/9は帰りの新幹線をやや早めに設定していたので、遠出する時間はありませんでした。
10/7に三江線、10/8に列車撮影を無事済ませて、すでに必要な写真は撮りおわっていたのと、「秋の乗り放題パス」で動ける範囲にも限界があるので、この日は呉に行くことにしました。
「大和ミュージアム」は以前に2度見に行っていましたので、今回は隣の「てつのくじら館」へ行くことにしました。


朝の広島駅。227系だが、これは山陽本線の列車なので乗らない


こちらは芸備線のキハ47形


乗車する227系がやってきました


途中駅で行き違い待ちの停車。呉線の広島〜広はけっこう列車本数は多いのですが、線路自体は単線です


227系のロゴ。CITYのCを型どり、山陽本線下り、山陽本線上り、呉線、芸備線、可部線をイメージした5本の線。まあ、CはCARPのCとした方が広島にはしっくりくるでしょうけど



呉線は海沿いを走ります。呉までの間は港や工場、住宅も多いですが


227系は2015年のグッドデザイン賞を受賞しています


呉に到着

呉駅を出て、南側の「ゆめタウン呉」という商業施設を通り抜けると、正面に「大和ミュージアム」、右側に「てつのくじら館」があります。時間があればセットで見学したいところですが、両方をそれなりに見る場合は4時間程度かかります。
初回に1時間程度で「大和ミュージアム」を急いで廻ってしまい後悔したので、昨年来た時の2回目は2時間程度かけてじっくり「大和ミュージアム」は見た物の、「てつのくじら館」まで見ている余裕がありませんでした。そこで、今回は約2時間の滞在時間で「てつのくじら館」だけ廻ることにしました。


てつのくじら館。奥の建物と、実物の退役潜水艦「あきしお」で構成されています



近づくとやはり大きい「あきしお」。全長76m、重さ約2200t。実際に海上自衛隊で使用されていたものです。


潜水艦の下を通ったところが出入り口です

「てつのくじら館」ですが、見学自体は無料です。
構成としては建物が3階建て、潜水艦は一部のみ入れますが、潜水艦内は撮影不可です。1階にはミュージアムショップとカフェもあるので、海上自衛隊のグッズや、護衛艦・潜水艦ごとのレトルトカレーなんかも販売されていました(カレーを各種購入して、会社の同僚へのお土産にしたところ喜ばれました)。





















2階の展示。2階は「掃海艇の活躍」がテーマです。掃海艇とは、戦争によって海中にばらまかれた機雷の撤去作業を行う船のこと。機雷は、少ない資材と人員で大きな効果を発揮できるものですが、一方で戦争が終わった後に確実な撤去作業を行わないと、今度は商業航海も漁業もできなくなってしまう厄介者。それでいて撤去は簡単な物では無く、その際の設備・装備、太平洋戦争後からどれだけ活動してきたかが説明されていました。近年は日本近辺の機雷は撤去されているため、主に海外での任務に当たっています。






3階の展示。3階は潜水艦の活躍ということで、実際の潜水艦内を再現した設備や、潜水艦の模型展示があります。


その3階から「あきしお」に入れるのですが、こちらは撮影不可。


おおむね1時間少々で見学終了しました

この後は、帰りの新幹線までやることも無かったので、三原まで呉線に乗ってから山陽本線で広島へ戻って帰りました。


呉からは227系


こちらは広駅にいた115系


広駅の駅名標


この227系は三原方面からの広駅止まりだが、折り返し運用には入らず


広〜三原は閑散区間となり、もっぱら105系での運用。



ただ、呉を過ぎてからの方が田舎になるため、瀬戸内海の景色もいい感じです


三原に到着。近くで昼ご飯を食べました


115系の岡山方面への列車


227系で広島へ戻ります




天神川〜広島にあるJR貨物の広島貨物ターミナルには、引退が近いEF67形100番台の姿が見えました

これで2泊3日の旅行は終了。天気に恵まれて良い旅でした。






11/25-26 岡山・香川旅行 前編

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11/25〜26に岡山・香川に行ってきました。

今回の目的は、11/26に行われた山陽新幹線岡山新幹線車両所の見学だったんですが・・・旅行数日前に、事前応募抽選制だったことを知るという、昨年の阪急正雀工場公開の時と同じミスを犯してしまい、11/26はまるごと宙ぶらりん状態。幸いに岡山にはJRと一部私鉄・第三セクター乗り放題のきっぷが販売しているので(ただし前日までの購入)、26日は適当にぶらぶらすることにして、25日は香川県へ行くことにしました。

今回も岡山までは新幹線で到着。最近は、JR東海ツアーズで目的地までの往復新幹線+ビジネスホテルの安いプランをよく利用しています。岡山からは快速「マリンライナー」で高松へ。岡山〜児島は往復運賃を払い、児島からのJR四国管内はネット販売している「四国再発見早トクきっぷ」を利用しました。


岡山駅のホームより。津山線のキハ47形








こちらは吉備線(桃太郎線)の桃太郎ラッピング車。現代アニメ風な桃太郎と、昔話絵本風な桃太郎が描かれています


先ほどのキハ47形と、223系5000番台「マリンライナー」


こちらは8000系「しおかぜ」の貫通型先頭車


快速「マリンライナー」で四国へ向かいます



瀬戸大橋を渡ります。天気が良くて良かった


高松に到着したところ、反対側のホームは121系の更新改造車7200系がいました






この7200系は、JR化後に登場した7000系と連結可能になっています。121系は他形式との連結が利かなかったので、運用の自由度が高まったと言えますね


乗ってきた5000系・223系5000番台「マリンライナー」と、8000系「いしづち」



こちらは高徳線の1500形





国鉄色と剣山色の組みあわせでキハ185系「うずしお」がやってきました


ちょうど4形式が並んだので並びの写真を撮影


一旦昼食のために高松駅を出ました


戻ってくると、8000系アンパンマン列車「いしづち」と121系がいました






ちょうど、ドキンちゃん役の鶴ひろみさんが亡くなったばかりの頃でしたので、哀悼の意を胸に撮影


高徳線ホームにはN2000系「うずしお」。隣は予讃線の121系

これまで四国というと、予讃線や土讃線の列車を撮影していることが多かったのですが、たまには高徳線の写真でも撮ってみよう(いつも乗り通すだけなので)と考えて、オレンジタウンまで行ってみることにしました。


途中駅で行き違いになった1500形の異端である7次車


N2000系「うずしお」との行き違い


やがてオレンジタウン駅に到着しました



乗車してきた1250形


階段を上って駅を出ます。無人駅で改札はありません




階段を上って左手には鉄筋コンクリートにガラス張りの駅舎があります。駅舎にはトイレも併設されています


駅舎は線路と町側の中間的な高さの場所にあり、町に出るには階段を上るか坂を上ります

オレンジタウンは新興住宅地ですが、正直言ってまばらな住居しかありません。
その住宅街を抜けて、少し高松側に戻ったところが今回の目的の撮影地です。



植木畑と思わしきところで綺麗に紅葉していた



徳島方向へ向かって右手にため池が映り込む、上り列車向けの撮影地である。N2000系「うずしお」を撮影


高松側は右手にコンクリで固められた山肌になっているのと、左側の道路のおかげで、ちょっとぱっとしない



下りのN2000系「うずしお」は3連だった



1500形7次車を撮影したところで引き上げ


行きに気が付かなかったのだが、こんなハリウッドみたいな感じで「ORANGE TOWN」なんて看板があった


駅に戻ってきた


ちょうど上りの「うずしお」が来るところだったので撮影


ホームに移動して駅名標を撮影



下りの「うずしお」を撮影


1500形が到着。これで高松へ戻る

高松に戻ったら、今度は琴平へ向かうことにします。以下、次回。




11/25-26 岡山・香川旅行 中編

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11/25〜26に岡山・香川に行ってきた話の中編です。

11/25に岡山まで新幹線で来て、瀬戸大橋を渡って香川県へ。高松から高徳線でオレンジタウンまで移動して、しばらく列車の撮影をしました。
オレンジタウンでの撮影後は、徳島へは向かわず、高松へ戻ります。
高松からは予讃線に乗って琴平へ。琴平から、ことでんで高松に戻ってこようと考えました。ここしばらく、四国へ来てもことでんに乗っていなかったので。



オレンジタウンから戻ると、8000系の台湾鐵路管理局800型車両ラッピング車がいました

7200系で多度津へ向かいます


車内は元々セミクロスシートでしたが、7200系化改造の際に、片側がロングシートとなり、1000形気動車のような座席配置になりました


7200系の運転台


2本の7200系と1本の8000系


高松運転所には2600系の姿が見えました。2連2本だけの製造になってしまいそうな2600系。今回の訪問時は試運転もしておらず、走行中の姿は見られませんでした



多度津からは1000形に乗り換えます


車内は片側ロングシートのセミクロスシート


1000形の運転台


発車待ちの間に、2000系「南風」が先行していきました




琴平駅到着。駅舎内はモダンな雰囲気


琴平駅の駅舎は昭和11年に建設されており、国の登録有形文化財となっている


こちらは「四国まんなか千年ものがたり」の乗客専用の部屋への入口。実際には、乗客はホーム側の出入り口しかほぼ利用しないのでスタッフ用出入り口ですね



琴平駅を後に、琴電琴平駅へ向かいます


琴電琴平駅のすぐ横の公園。ちょっと気になったので中に入ってみることに




公園内には高灯籠がありました



琴電琴平駅に到着


琴電琴平の改札。有人駅です


改札上にあった路線図





元京王5000系のことでん1100形


ことでん1100形の車内の様子


高松築港に到着。すでに日が暮れて真っ暗でした


高松駅に戻ってきました



ホームには8600系「いしづち」と2000系「しまんと」がいました



特徴的な外観の8600系。運用が少ないため、まだ短距離でしか乗ってないですね


6000系と5000系。6000系は213系を三扉にした感じの四国のオリジナル車


キハ40系が入ってきました。国鉄首都圏色と四国色の3連です






JR四国ではだいぶ数を減らしたキハ40系。国鉄末期に投入された気動車はトイレが無く、キハ32形やキハ54形より、キハ40系の方が乗客としてはありがたいんですけどね


そろそろ高松駅を後にします


223系5000番台側。「マリンライナー」で本州へ戻ります




岡山に戻ると、宇野線の列車にラッピング車が入ってました。このアニメ映画見てないのでわかりませんが

これで11/25の行程は終了。後編に続きます








11/25-26 岡山・香川旅行 後編

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11/25〜26に岡山・香川に行ってきた話の後編です。

前編に書いたとおり、元々は11/26は山陽新幹線岡山新幹線車両所の公開イベントに行く予定でしたが、事前申込が必要だったことを見落としており、1日予定が空いてしまいました。
そこで、前日の11/25に岡山駅到着後、「吉備之国くまなくおでかけパス」を購入しておきました。
「吉備之国くまなくおでかけパス」は前日までの購入が条件ですが、岡山近郊のJRと岡山電気軌道、井原鉄道を乗車でき、料金1950円のフリーきっぷです。ちなみに、井原鉄道を通しで乗車すると1100円なので、けっこう安めの設定になっています。このきっぷを使い、周辺をぶらぶらとしてきます。


朝の岡山駅にて。停車中の新見行き115系


上りホームの117系


乗車した電車も117系でした

最初に目指したのは、水島臨海鉄道。フリーきっぷとしては範囲外なんですが、早朝の時間帯なら終点の三菱自工前まで、全列車が発着するので(早朝以外は、一部しか発着しない)三菱自工前まで行きます。


水島臨海鉄道の倉敷市駅。JRの倉敷駅に隣接している


水島臨海鉄道の主力形式MRT300形。今回乗車した列車は、平日なら国鉄型が入る時間帯なのだが、休日は輸送量が少ないため、MRT300形1両での運行となる


MRT300形の車内。トイレ無しのセミクロスシートだが、ロング部分が多めの配置となっている


三菱自工前に到着

水島臨海鉄道は貨物輸送主体の鉄道会社です。旅客輸送も行っていますが、貨物収入がメインの会社になっています。
そんな水島臨海鉄道は、古くから国鉄型気動車の譲渡を受けて運行してきました。1995年から自社発注のMRT300形を6両導入し、休日の輸送は全てMRT300形で賄うことになったものの、平日の朝夕ラッシュはキハ20形が長く使用されてきました。そのキハ20形が老朽化により引退。代わりに用意されたのは、JR東日本で久留里線を走っていた国鉄型気動車でした。今回はこちらの撮影目当てでして、三菱自工前駅から徒歩10分ほどで車庫を見に行くことが出来ます。



望遠で見る車両基地



花柄塗装のMRT300形








水島臨海鉄道オリジナルカラーとなったキハ37形




通常塗装と花柄塗装のMRT300形


奥にはキハ20形の姿。キハ205は、2017年3月に運用を終了したが、11月時点でも車庫内に留置されていた




奥に見えるキハ30形が気になりますが、手前の機関車は水島臨海鉄道オリジナルのDD50形です




こちらはキハ30形。久留里線で末期に塗り替えられた国鉄一般色のままになっていますね


キハ30形と組み合わされているのはキハ38形。こちらは国鉄一般色風に塗り替えられています。位置的に前面撮影不可能な場所にいたので、側面だけ撮影


三菱自工前駅に戻りました


駅に張ってあったカレンダー販売のポスター



車庫側から出てきたMRT300形で戻ります

倉敷駅へ戻ったら、次は福山へ向かいます。福山から福塩線で神辺駅に移動し、井原鉄道に乗るためです。


倉敷駅で撮影した105系。岡山周辺の山陽本線は115系、117系、213系の運用が多いが、105系の運用もある


115系で福山へ向かう



福塩線の105系。元々105系は福塩線と宇部線・小野田線向けに国鉄が製造した車両です


神辺駅下車。駅を出なくても井原鉄道への乗り換えはできますが、時間があったので出てみました


こちらは井原鉄道の神辺駅


井原鉄道はせいぜい2両程度の運転のはずですが、長いホーム(4両くらいは入る)になっています。国鉄時代の古いホームを転用したんでしょうかね



井原鉄道のIRT355形。車両はこの1形式だけだが、車内仕様が異なる100番台、水戸岡列車「夢やすらぎ号」の200番台がある


IRT355形0番台の車内。セミクロスシートでトイレ付き



11月下旬ということもあり、車内にはクリスマスシールが張られていた


乗車したのはIRT355-06だった


清音止まりの列車だったので、清音駅で下車


JR側ホームから撮影したIRT355形



115系に乗車して隣の総社駅へ向かう



総社駅

総社からは吉備線(桃太郎線)で岡山へ戻ります。清音から倉敷経由で戻った方が早かったのですけど、同じく区間を通って戻るのも面白くないので。




吉備線のキハ40形。ロングシート化改造済みの3000番台だった

岡山に戻ったら、今度は岡山電気軌道に乗ります。
東山線の終点にできた、「おかでんミュージアム」を見に行ってきました。
「おかでんミュージアム」は2016年に岡山電気軌道東山車両工場の一角を改造して作ったミュージアムで、入館料が1000円と高めですけど、路面電車1日券などを提示すれば500円になります。なお、今回利用していた「吉備之国くまなくおでかけパス」でも割引対象にしてもらえました。



ちょうど「たま電車」の7000形がやってきました







7000形「たま電車」の車内。和歌山電鐵は岡山電気軌道の子会社です。和歌山では「たま駅長」は亡くなりましたが、和歌山には「ニタマ駅長(たまⅡ世駅長)」、岡山にも「SUNたまたま」がいて、「SUNたまたま」はおかでんミュージアムに出勤していることもあるようです


東山に到着


東山の車両工場の一角がおかでんミュージアムになりました


ミュージアムの反対側にも留置線があります


入口付近で覗き見る東山車両工場





おかでんミュージアムの1階


ミニシアターもあり、「チャギントン」が放映されていました


2階には「チャギントン」ルームもあります


1階の端っこからは、建物外に出て一部工場内を見ることも出来ます



見学を終えて岡山駅へ戻ることに


岡山駅前まで乗車してきた7600形

岡山からは新幹線で帰りました。


岡山駅のホームで撮影した500系


こちらはN700系7000番台「さくら」


下りの「さくら」と500系「こだま」の組み合わせ


これで2日間の旅行を終了。予定外になった2日目でしたが、けっこう楽しめました。

12/9-10 北の大地へ列車撮影に その1「千歳線での列車撮影」

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12/9-10の土日で北海道まで撮影旅行に行ってきました。

今回の目的は雪の中での列車撮影です。以前にも書きましたが、私は毎年鉄道写真のカレンダーを作成していまして、その写真を撮りに全国を回っているところもあります。
冬場の12月〜2月くらいはだいたい雪の風景の写真を入れたいところですが、そうは言っても近年は積雪量が激減しており、たまに先日の都内のような大雪もあるにしても、土日に撮影できるとは限りません。
そうなると、確実に雪が積もっていそうな北海道、北東北、新潟、長野などに冬場に行くことが多くなっています。なお、近年は北陸の積雪量が少ないのと、北陸新幹線開業で積雪の多い場所での特急運用が減ったため、北陸での積雪風景の撮影計画はちょっと難しくなっています。

12/9の朝は羽田空港から飛行機に乗り、千歳空港へ。新千歳空港駅で快速「エアポート」に乗りましたが、すぐ隣の南千歳で降りて、撮影を開始しました。



新千歳空港から1区間乗車した733系3000番台「エアポート」


DF200形50番台牽引の高速貨物がやってきました。整備し立ての車両のようで、だいぶ綺麗な状態ですね



南千歳へ到着する新千歳空港行きの721系5000番台「エアポート」。現在、快速「エアポート」の運用は733系3000番台が主流で、721系の運用は減っている



千歳発夕張行きのキハ40形1700番台。石勝線の夕張支線も廃止時期が明確になっていませんが、いずれは廃止されるので、今後は今以上に葬式鉄が増えるんでしょうね




走り去る札幌行きのキハ183系「北斗」。ハイデッカーグリーンの見納めも近づいています






北海道日本ハムファイターズの大谷選手ラッピングとなっている733系3000番台「エアポート」。メジャーリーグ移籍が決まりましたが、このラッピングどうなるんでしょうね




新塗装になった帯広行きキハ261系1000番台「スーパーとかち」。うーん、あまり好きじゃ無いんですよね、この塗装


南千歳駅の駅名標。片側は千歳1駅ですが、もう片側は3駅というHUB駅の状態


そろそろ南千歳も飽きたので移動します


千歳駅で普通列車に乗り換え待ちしていた間に、札幌行きのキハ261系1000番台「スーパーとかち」が通過


キハ281系「スーパー北斗」。しばらく、キハ281系にも乗ってないなあ


733系3000番台「エアポート」



乗車する731系普通列車が到着。折り返し時間までまだ時間もあったので、待ちます



733系3000番台「エアポート」が通過


さらにDF200形50番台牽引の高速貨物も通過して行きました

千歳駅で普通列車に乗り、撮影のために降りたのは恵み野駅でした。実の所、最初はサッポロビール庭園駅での撮影を考えていたんですが、思ったより撮りづらそうだったので、その先の恵み野駅にしたというところです。


恵み野駅で下車


国鉄式の駅名標



733系3000番台「エアポート」が通過





785系「すずらん」が通過。785系も「スーパーカムイ」の運用からはずれ、「すずらん」が最後の運用になるようですね。「スーパーホワイトアロー」だった時代が懐かしい




733系トップナンバーの編成が到着


733系3000番台「エアポート」が通過



DF200形100番台牽引の高速貨物が通過



721系4000番台「エアポート」が通過



721系3000番台の普通列車


キハ283系「スーパーおおぞら」が通過


731系の普通列車


733系3000番台「エアポート」が通過





キハ283系「スーパーおおぞら」が通過


721系3000番台「エアポート」が通過



キハ281系「スーパー北斗」が通過


733系の普通列車



721系3000番台「エアポート」が通過



731系普通列車


DF200形50番台牽引の高速貨物が通過。この日は0番台には全然会えませんでした



本当は、こちらのキハ183系「北斗」が狙いだったんですが、被っちゃいました



733系3000番台「エアポート」が通過


731系普通列車で移動します

日が傾いてきて、札幌からの列車に建物の影がかかる様になってきたので、恵み野駅を離れ、次は札幌へ向かいました。以下、次回。

12/9-10 北の大地へ列車撮影に その2「札幌市電の撮影」

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12/9-10の土日で北海道へ行ってきた話の続きです。

飛行機で千歳空港へ到着し、千歳線を南千歳、千歳、恵み野の3駅で撮影してきました。そのまま札幌まで移動したら、札幌駅から歩いて札幌市電を撮りに行きます。
札幌市電は札幌の中心部であるすすきのを通っているものの、札幌駅には接続していません。そうなると、地下鉄またはバスで札幌市電に乗り継ぐのが一般的ですが、札幌駅から西4丁目電停まで歩いてもせいぜい1.5kmくらい。地下道もあるので、歩くのには苦労しません。もっとも行きはあえて地上を歩きましたけど。


札幌駅に到着する前の苗穂には、引退したキハ183系5000番台「ニセコエクスプレス」の姿が見えた


札幌駅の南側。市の中心街は主に南側にある




歩いているといろんなバスを見る。北海道の中心である札幌には、路線バス、都市間バス、観光バスなど様々なバスの姿が見られる


雪道の向こうに見えるのは、北海道庁の旧本庁舎




大通公園。さっぽろテレビ塔が見える。雪祭りのメイン会場になる場所だ


札幌市営地下鉄の大通駅入り口がちょっと洒落ていた


ふと見えた気温が-1℃。昼間の札幌はそこまで寒くは無い

さて、西4丁目電停に到着し、しばらく線路沿いを歩くことにします。
目的は乗車より撮影なので、西15丁目までの間を歩きました。





初っぱなに現れたのが3300形3302の「雪ミク電車2018」。ボーカロイドには縁が無くて興味は無いんですが、せっかくなので撮影します




そこへ古参のM100形がやってきました



M100形と3300形「雪ミク電車2018」をセットで


西15丁目まで歩いている間に見た自動車。こういう乗用車は久しぶりに見たなあ



250形。札幌市電の旧型電車200形系列の中では新しい方





超低床電車A1200形「ポラリス」。アルナ車両のリトルダンサーシリーズの1つ。市電環状化で登場した車両



8520形。1985年以降に投入された8500形シリーズの後期形


西8丁目電停


こちらは8500形



続いて240形


西15丁目から電車事業所前まで3300形に乗車しました


車庫撮影のため電車事業所前で下車



240形と3300形の行き違いシーン




車庫からは「貸切」表示の3300形が出てきました


札幌市電の車庫




左から8510形、210形、雪1形。雪1形はいわゆるササラ電車です。今回は積雪はあっても降ってきてはいなかったので、稼働状態は見られませんでした




250形と8500形の行き違い


電停にある札幌市電の路線図。今どこに車両がいるのか、低床車両だけは区別して表示してくれます


220形に乗って、ぐるっと周り西4丁目まで戻りました

札幌市電の撮影をした後は、もう真っ暗になったので、昼でも夜でも大差無いということで札幌駅で撮影します。
以下、次回。





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